日本地理学会発表要旨集
2008年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 512
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中国寧夏回族自治区の生態移民による農村空間の形成
寧夏回族自治区調査報告 その5
*小野寺 淳
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抄録


1.生態移民による新しい農村空間
 生態移民とは、生態系を保全するために行われる移住行為やその行為に参加した人々(移民)のことを指す。寧夏回族自治区においては、“吊庄”と呼ばれる移民がよく知られており、人口圧が高く自然環境が悪化しつつある南部山間地帯から、黄河揚水灌漑事業が進展する北部平原地帯への移民を指している。南部の転出地の貧困や環境の問題についてはこれまでよく研究されてきたが、本研究では北部の転入地に焦点を当てて新しい農村空間の形成について考察したい。
2.自治区内の地域性と移民の歴史
 南部が自然環境に恵まれず、大量の余剰労働力を抱えているのに対して、北部は土壌が肥沃で地勢が平坦で日照が十分であり、水利が整備されれば土地資源が豊富であると言えよう。図は南部と北部の経済水準の違いを端的に表している。こうした地域性の中で、1983年以来40万人を越える南部の貧困農民が北部へ移住した。
 図 寧夏各市県の農民一人当たり純収入(2004年)
(寧夏統計年鑑2006より作成).
 それ以前も、寧夏は中国の辺境かつ少数民族集住地区であり戦略的に重要な位置にあると認識されて、国営農場による開墾が行われていた。生態移民においても、まず政府が投資・建設をして水利施設や居住条件を整備した。そして、転出県が移民村の建設と管理を行い、それが軌道に乗ってからはじめて行政全般を転入地の地元政府に移行するという手順を踏んだ。
3.移民村の事例
 永寧県閩寧鎮は銀川市の南に位置し、東は黄河の西部幹線用水路に面する。南部の西吉県や海原県からの移民4,300戸、2.2万人が相前後して定住し、うち回族は70%を占める。元は西吉県玉泉営経済開発区として始まり、1997年に先進地域である福建省の支援を得て閩寧村が成立し、2000年に閩寧村は永寧県に引き渡され、翌年に閩寧鎮となった。小麦やトウモロコシの他、菌類、果物、薬材などの生産が近年増加しつつある。隣接する国営農場の土地が請負契約に開放されたことも含めて、土地使用権の流動化が見られ、農業の大規模経営が始められている。
 銀川市興泾鎮は銀川市南郊に位置し、1983年に泾源県政府が興した芦草洼移民開発区として建設が始まった。無人の荒地が今では総人口2.5万人となり、回族は99%を占める。2000年には泾源県から銀川市郊外区へ引き渡され、翌年に興泾鎮が成立した。鎮中心市街地の開発が、イスラム圏のサウジアラビアやクウェートなどからも資金が流入して進められている。羊や牛などの交易が活発であり、小麦やトウモロコシの他、施設園芸などの積極的な取り組みが見られる。
4.農村空間の形成と変容のメカニズム 
 本研究では、上記2つの移民村における特に土地の所有・使用関係を中心とした農家経済の分析から、農村空間の形成と変容のメカニズムを検討する。
 政府の灌漑開墾事業から始まるため、土地の所有権は国にある。その上で土地の使用権がどのように移民たちに請け負われ新しい農村空間が形成されていったかを明らかにする。他方、南部の転出地の土地の所有権・使用権も移民たちの手に残されている。
 また、人の流動性が高く、同時に土地の権利の流動性も高い。土地が集団所有され実際の権利関係がしばしば曖昧な中国の一般的な農村に比較して、農業経営の大規模化や多角化、さらには非農業への産業構造の転換もダイナミックに進行する可能性がある。

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© 2008 公益社団法人 日本地理学会
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