抄録
アフリカ農民の生計維持は,不安定な自然環境や政治・社会変動によってリスクと常に隣り合わせにある.そのため農民が被る可能性のあるリスクと,そのリスクへの対応能力を包含する「脆弱性」(vulnerability)という概念は農村の社会や経済を理解する上で非常に重要である.
脆弱性とは1)危機・ストレス・ショックに晒される危険性,2)それらに対応しうる能力に欠く危険性,3)上記の結果引き起こされる付随的な危険性の3点によって規定されている.実際には突発的な自然災害や,社会的な周縁化のように個人や世帯,地域の様々なレベルにおいて日常・非日常の場面で現れている.
これまでの研究では主として外的な要因(自然災害や経済政策、政治変動など)によって脆弱性が規定され,その影響の仕方を左右するのが対処行動という内的な要因だとされてきた.しかし本発表では,日常の場面で見られる個人や世帯の内側から発生する社会・文化的な側面も脆弱性を規定していることに注目し,農民の脆弱性が変動するプロセスを明らかにする.
調査地はザンビア南部州に位置するルシト地区である.調査は2006年8月から2007年3月,2008年8月から2009年3月までの計16ヵ月間,対象村に滞在し行った。
まず全世帯主49名に対し食糧生産や換金作物栽培,非農業活動など,現在の生業に関する聞き取り調査を行った.そして脆弱性の変動や社会・経済的側面のつながりを見出すために,世帯主20名に対しライフヒストリーの聞き取りを行い,これまでに経験してきた移動や社会的な出来事,経済状況の変化などを時間軸に位置づけた.
調査地は降水量変動が激しく,周期的に干ばつに見舞われる.食糧の安定的確保はこの地域における最大の課題である.しかし,富裕層による賃金労働の提供,政府やNGOからの食糧援助,出稼ぎ労働といった対処行動は複数存在し,食糧生産の失敗によって脆弱性が増大するかどうかは対処行動へのアクセスという側面と密接に関わっていた.
しかし、個人のライフヒストリーや出稼ぎ労働の詳細な聞き取りを行うと,上述したような食糧供給の不確実性や対処行動へのアクセスとは全く別の論理によっても脆弱性の増大・緩和が起こっていることが明らかになった.具体的には頼りにしていた親族の死や,結婚・離婚という当時の社会的出来事によって経済状況が変化することである.また世帯内での権力関係、資源分配への不満からも個人や世帯の脆弱性が変動し,農民が生計戦略を修正・変更させていくというプロセスが明らかになった.
以上のように調査地の脆弱性は,降水量変動という外的要因,対処行動へのアクセス以外に,偶発的に起こる社会的出来事や世帯内での分配行動が個人や世帯の脆弱性を変動させている側面があることが明らかになった.しかし各々のリスクは単線的ではなく相互に関連性を見出すことができる.そのため個人や世帯のレベルで,生態・社会・経済の要素を連続的に見ることが重要である.そして発表では,農民は脆弱性が変動するプロセスにおいて必ずしも悲観的になっているのではなく,その契機を利用している側面が見られることにも言及したい.