日本地理学会発表要旨集
2009年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 419
会議情報

1980年代後半以降における日系企業の直接投資と豪州の牛肉生産の変化
農産物をめぐるグローバル化とローカル化(2)
*川久保 篤志
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録
1.はじめに
 日本の牛肉輸入量は,1988年の自由化決定以降,急速に増加してきた。その大半を担ったのがアメリカと豪州であるが,特に豪州は輸出依存度が40%以上と高いこともあり,日本の輸入動向が及ぼした影響は大きかったと考えられる。また,豪州の牛肉産業には多くの日系企業が直接投資し,対日輸出を中心とした経営を開始した。では,自由化決定後20年以上が経過した現在,これらの日系企業は豪州の牛肉産業にどのような影響や変化をもたらしたのか。本発表では,フィードロット経営と霜降り肉生産に焦点をあてて若干の考察を行う。
2.日系企業による豪州への直接投資の展開
豪州の牛肉産業への日系企業の直接投資は既に1970年代に行われていたが,数量制限と輸入割当の下で自由な取り引きは困難であったため本格的なものではなかった。しかし,自由化の決定は将来の大きなビジネスチャンスを期待させたため,1988年以降,商社・食肉製造業・小売業などの多くの大手企業が豪州のフィードロットや食肉処理場を買収し,次第に重要な地位を占めるようになった。これは,豪州ではそれまで基本的に放牧による一貫経営(牧草肥育)が中心で,日本市場が好む霜降り肉(穀物肥育で仕上げた牛肉)を生産するための肥育場(フィードロット)がほとんど存在しなかったからである。つまり,日本市場に適応した牛肉を生産・輸入して自由化の恩恵をより早く大きく享受するためには,豪州の企業を指導するよりも自らが経営に乗り出す方が有効と考えたのである。
 しかし,1990年代後半になると,自由化後に急増していた日本の輸入量が停滞し(図1),かつ輸入価格も低下したため経営は悪化し,撤退を余儀なくされる企業も出てきた。この要因としては,日系企業は専ら対日輸出を念頭においた長期肥育と霜降り肉生産を行っており,非日本市場向けの牛肉生産(例えば,豪州国内向けの低価格短期肥育牛肉)への適応ができなかったことが指摘されている。とはいえ,現在でも日系のフィードロットは資本参加も含めると2位・3位・10位・12位に(2003年),食肉処理場でも3位と10位にランクされており(2007年),豪州牛肉産業における地位は高いといえる。
3.豪州におけるフィードロット部門の成長とその意義
 図1は,1989年以降の豪州におけるフィードロットの成長を,飼養頭数と収容能力について示したものである。これによると,飼養頭数は1989年の16万頭から2007年の90万頭へと20年足らずの間に5倍以上に急増しており,その増加ペースは概ね対日輸出の動向に対応しているように見える。しかし,1997年以降は対日輸出の停滞にも関わらず飼養頭数は増加しているし,2007年以降は飼養頭数・対日輸出とも大きく減少しているにも関わらず,収容能力は増加している。これは,豪州のフィードロットで生産される穀物肥育(グレインフェッド)の牛肉が次第に国内向けもしくは第3国へも販売されるようになったことを示唆している。このような変化は,豪州の牛肉輸出業者や消費者に霜降り肉という新商品を提供することを通じて輸出先の開拓や食生活の豊かさの実現に寄与したといえよう。
 また,フィードロットの立地は1980年代のクインズランド州に偏った分布からニューサウスウエールズ州へも広がった。これは,霜降り肉に仕上がりやすいアンガスなど温帯種の肉用牛が豊富に存在していたことと,大麦など飼料用の穀物の栽培が盛んであることからきており,日系企業の多くもクインズランド州南端からニューサウスウエールズ州に立地してきた。フィードロットの立地は,周辺地域の素牛飼養や飼料栽培を刺激し,内陸部の雇用創出にもつながるため,その地域的インパクトは小さくない。現在,日系企業の地位は低下しつつあるが,1980年代末以降の豪州に多額の投資を行い,急速に牛肉の生産力を高めて輸出の促進に果たした役割は大きく,豪州におけるグレインフェッド牛肉の生産の基礎を築いたといっても過言ではないだろう。
※本研究の調査には,科学研究費補助金 基盤研究(B)「第3次フードレジーム下の対日農産物・食料輸出の展開と当事国農業・流通への影響」(課題番号:19320134,代表者:荒木一視)を使用した。
著者関連情報
© 2009 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top