日本地理学会発表要旨集
2009年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 206
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古日記天候記録から推定した1830年代以降の冬季気温変動
*平野 淳平三上 岳彦
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抄録
1. はじめに
近年、数値モデルにもとづいた気候の将来予測が盛んに行われているが、的確な将来予測のためには、過去から現在にいたる気候変動の実態を正確に理解する必要がある。日本において公式気象観測記録が得られるのは1870年代以降に限られるが、Zaiki et al., (2006) などによって、19世紀に行われていた非公式な古気象観測記録が補正・均質化され、気候変動解析に用いられている。このような古気象観測記録とは別に、最近、水戸における幕末期(1850年代)の気温観測記録の存在が明らかになった。これらの古気象観測記録からは、幕末期(1850年代-1860年代)に一時的な温暖期が存在したことが示唆される。この時期は、小氷期(Little Ice Age)末期に相当するため(Lamb 1977)、日本においても温暖であった可能性があるが、古気象データには観測方法による誤差が含まれていると考えられる。そのため、実際に幕末期がどの程度温暖であったのかを議論するためには、代替データを用いて当時の気温を推定した上で、観測値との比較・検証をする必要がある。
本研究では、1830年以降、観測時代にかけて継続的に得られる古日記天候記録を用いて、冬の気温を推定し、幕末期(1850-1860年代)の冬が現在と比較してどの程度温暖であったのかを解明することを目的としている。
2. データと方法
東北地方南部に位置する山形県川西町で1830年から1980年まで「竹田源右衛門日記」に記されていた毎日の天候記録を代替データとして用いた。また、1890年以降については、近接する山形の気象官署における冬季3ヶ月(12-2月)の月平均気温データを用いた。古日記天候記録から冬季気温を推定するために、1890年-1980年の期間において「竹田源右衛門日記」から求めた12-2月の降雪率(雪日数/降水日数×100)と山形における12-2月の3ヶ月平均気温との関係を検討した。その結果、両者の間には危険率1%で有意な負相関(r=-0.75)があることが判明した。両者の間に成り立つ回帰式を元に12-2月の降雪率を説明変数、12-2月の3ヶ月平均気温を目的変数として1830年-1890年の川西町における冬季平均気温を推定した。
3. 結果と考察
図1は、上記の方法によって推定された川西町における1830年代以降の冬季気温の変動を示している。この推定結果から幕末期には、1)1840年代後半-1850年代前半と2)1860年代後半の2つの一時的な温暖期が存在したことが指摘できる。標準誤差(±0.6℃)を考慮すると、これらの2つの時期の気温は、現在(1971-2000年)の気候値とほぼ同程度と考えられる。19世紀の古気象観測記録からもこの2つの時期が暖冬であったことが示唆され、本研究の結果と整合的である。また、1860年代後半の温暖期には諏訪湖で明海(全面結氷が起こらない)となった年が含まれていることから、本研究による推定結果の信頼性は高いと考えられる。
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© 2009 公益社団法人 日本地理学会
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