抄録
1.背景と目的 わが国においても外国人労働者に対する関心が高まっている。受入制度や文化的な摩擦,言語の習得,労働環境の整備などといった議論が交わされているが,出稼ぎを送り出している側の社会についての検討は決して多くはない。こうした観点から,本報告では有数の出稼ぎ労働者の輩出国であるバングラデシュを取り上げ,送り出し側の農村における出稼ぎ労働者の実態について取り上げる。実際,「出稼ぎ労働者」という日本語の響きには,「貧困」と結びついたイメージがあるが,はたしてそのような(単純な)理解でよいのであろうか。
2. 対象村と調査 対象とする農村は出稼ぎ労働者を輩出しているムンシゴンジ県とコミラ県の合計4村(1,369世帯,7,998人)であり,調査は2008年2月にバングラデシュのローカルNGOの協力の下に行った。実際の村落での調査は報告者らが作成した英語のアンケート用紙に基づいて,NGO側の調査員がベンガル語で面接調査をおこなった。ムンシゴンジ県は首都のダッカから自動車で約1時間余の距離にあり,一部は首都への通勤圏に含まれる比較的都市的影響の大きな農村地帯である。一方,コミラ県はムンシゴンジ県に比べて,首都の影響は少なく,調査対象2村も幹線道路から離れた所に位置している。
3. 調査結果の概要 まず,出稼ぎ開始年であるが,2000年代以降にその数が増加する傾向が認められた。また,出稼ぎ先(国外)としては,中東諸国及びイスラム諸国という傾向が広く認められた。そうした中で,日本や韓国,台湾といった東アジア諸国もまとまった数が確認できた。出稼ぎ者の教育水準については,高卒や大卒などの資格を持つものが多くみられ,10年程度の就学期間を持つものはむしろ出稼ぎ者の教育水準としては低位に位置した。これは当該調査村全体の教育水準とは明らかに異なるパターンである。村全体としては,一般的に就学期間5年をピークにそれ以下の階層に多くが属し,10年近い教育年数を有するものは少数である。このことから,出稼ぎ者の教育水準は村内ではかなり高い方に位置づけられる。
また,アンケートによる家計調査からは,低位の階層に多くの世帯があつまり,高所得層は少数であるという途上国農村には一般的と見られるパターンが認められたが,その中で出稼ぎ輩出世帯の多くは,所得の上では中位かそれ以上の階層に多く見られた。なお,電化率に関しては50_%_程度にとどまる1村をのぞいて,他の3村では7割程度には電気がきていた。同様に携帯電話の普及率でも5割に満たない1村をのぞき,高い村では9割以上の保有が確認された。
4. 考察 アンケートを用いた4ヶ村の調査から,出稼ぎ労働者を送り出している社会の検討を行った。その結果,出稼ぎ労働者を輩出している世帯の村落内における経済的な位置は相対的に高いこと,また,教育水準も相対的に上位にあることがうかがえた。逆に村内には出稼ぎに行くことさえも困難な経済的低位に置かれたが者が数多く存在するということも事実である。今後は,このような出稼ぎ労働が従来から村落内にあった社会経済階層を固定化する(豊かな者がさらに豊かになり,貧しい者は貧しいままにとめおかれる)方向で作用しているのか,あるいは撹拌するような(貧しい者が富裕層になれる機会が提供される)方向に作用しているのかなど,村落社会に及ぼす影響を検討していく必要がある。また,いずれにしても出稼ぎ労働者を通じて,少なからぬ現金が村落内に持ち込まれ,不動産投資や農業投資,商業投資など何らかの形でバングラデシュ社会に還元されているわけであり,その点についてはしかるべき評価をする必要があるとともに,その波及効果については,新たな栽培作物の導入や農地の整備,農産物流通機構の整備などによる農業開発による村落への波及効果などとの比較も含めた検討が必要である。