日本地理学会発表要旨集
2009年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 408
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兵庫県豊岡市の鞄産業における産地構造の変容
*中田 昭一郎
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抄録

1.研究目的
 近年、安価な海外製品の台頭や消費者の嗜好の多様化等、地場産業をとりまく環境は大きく変化している。そのことは、従来の効率化・大量生産を目的とした産地内の分業体制にも大きな影響を与えている。
 そこで本研究では、経済のグローバル化をはじめとする経済的・社会的要因が地場産業産地にどのような影響を及ぼしたのか、各企業はそれに対してどのように対応しそれまでの分業体制にどのような変化が起こったのか、その結果産地構造がどのように変容したのかについて、兵庫県豊岡市の鞄産業を事例に考察していく。

2.豊岡の鞄産業の概要
 豊岡市は鞄の4大産地(東京・名古屋・大阪・豊岡)のうちの1つで、鞄関連の中小企業が集積しており、地方都市としては唯一の鞄産地となっている。豊岡の鞄産業はこれまで、全国の市場への窓口となる「産地問屋」、製造に携わる「製造業者」、全国から材料を仕入れる「材料商」および数多くの下請け・内職による分業体制のもとで、地場産業として成立していた。BR  このような産地構造のもとに、豊岡では主にビジネス・旅行用の鞄を大量生産してきた。しかし、現在では出荷額・事業所数・従業員数ともに減少傾向にある。

3.産地の対応
i)産地問屋
 産地問屋には、1980年代以前から海外製品を貿易会社を通して輸入する動きはあったが、本格的に輸入製品を扱うようになったのはバブル崩壊以降である。安価な海外製品が流入して市場に広がると、豊岡の産地問屋への発注価格も下がり、産地の製造業者に発注していては採算が合わなくなったためである。大ロットの製品を海外に注文する一方で、地元の製造業者に対しては主として小ロットで納期の短い製品を注文するようになった。
ii)製造業者
 前述の産地問屋の対応をうけて、製造業者の仕事は激減し、きわめて厳しい状況に陥った。そのような状況の中、1995年頃、東京の大手鞄業者(Y社)が豊岡に進出し、産地の製造業者に大きな影響を与えた。Y社は製品の品質管理が厳しく、注文を受けるためには多額の設備投資が必要となった。しかし、Y社の注文を受けるようになった企業とその下請けは、大ロットの製品を扱えるようになり、技術の面でも向上が見られた。一方で、Y社の注文を受けなかった製造業者の中にも、産地問屋を通さずに直接市場と結びつこうとする動きが見られるようになった。そのような企業の中から地域ブランドを立ち上げようという動きが起こった。また、自社ブランドの育成や、特殊な技術によって付加価値をアピールしようとする企業も存在する。他方、小規模で手が回らない等の理由で市場の開拓を行なえなかった製造業者は依然として産地問屋に依存した経営を続けており、廃業を考えている企業も存在している。
iii)材料商
 材料商は大ロットで仕入れた材料を産地に小分けして供給する役割を担っている。材料商は概して産地内への出荷率が高いため、産地の製造業が不振だと、材料商もその影響を当然こうむることになる。材料商には零細なものが多い。従来は、仕入れる製品の種類が少品種ですむので零細でも経営できたが、消費者の指向の多様化により、多種類の材料を仕入れる必要が生じた。加えて大ロットの注文は少ないため、在庫のリスクも抱えなければならず、零細な規模での経営は厳しくなっている。
iv)下請け業者
 下請け業者の仕事は、産地の製造業者に依存しており、零細な企業が多い。そのため、製造業者が不振だと、下請け業者も大きくその影響を受けてしまう。下請け業者の多くはある特定の工程に特化しており、多品目少量生産では、同じ作業で出来る製品の数が少なくなり、採算が合わない。また、外注だと品質管理が困難なため、製造業者は社内生産を増加させる傾向があり、下請け業者の仕事はいっそう減少している。

4.結論
 経済のグローバル化を背景に、産地問屋が生き残りのために海外製品の輸入を拡大するようになったため、産地の製造業者の仕事は減少し、豊岡の鞄産業における産地構造に変化が生じた。産地内の企業間のつながりは薄れており、零細な企業にとっては生き残りが厳しい状況になっている。とりわけ零細企業が多い材料商が廃業すると材料を仕入れにくくなり、製造業者も廃業へと向かうことになりかねない。その結果、零細企業の持つ技術が失われる可能性があり、また、産地として成り立たなくなるおそれもある。

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© 2009 公益社団法人 日本地理学会
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