日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 101
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負の記憶と記念碑
沖縄本島中南部の米軍基地跡地
*大平 晃久
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抄録

 記憶やコメモレイションに対する関心が高まるなかで,負の記憶,そして負の記憶の場所も考察の対象となっている.米軍基地やその跡地がそのような場所であることはおそらく論をまたないであろう.一方,近年の沖縄では,コザや北谷(アメリカンビレッジ)のように,アメリカに対する肯定的な表象も目立っている.
 このような問題意識から,米軍基地やその跡地が集中する沖縄本島中南部で基地跡地における記念碑の建立状況を調査した.文献資料や聞き取り,現地調査によって現時点で確認できたものを示したのが表1である.
 表1からは米軍基地跡地の記念碑について,ひとまず次の3点を示したい.

 1,基地跡地であることを明示する記念碑は区画整理完工など基地からの復旧を記念した記念碑に限られる
 2,基地跡地であることを明示しないが「平和」や「非核」など一般的な内容を表現した記念碑も散見される
 3,基地跡地に建設された市庁舎など公共施設そのものが記念碑として位置付けられている例もある

 さて,上記1~3からここで指摘したいのは,米軍基地跡地が「勝利」の文脈で記念されているということである.歴史的事実としての基地の存在や基地による被害(だけ)を示すのではなく,それらを奪還したこと(3),区画整理を実施したこと(1)が記念されている.これは負の記憶のありようとして興味深い.
 『記念碑の語るアメリカ』において負の記憶のうち暴力や悲劇とその場所について考察したフットは,そうした記憶の場所の変容を聖別,選別,復旧,抹消の4パターンに分けて論じている.米軍基地跡地は復旧,抹消それ自体が記念されるという点でフットの分類からはみ出す特殊な事例であることが指摘できよう.
 あわせて,基地跡地がなぜ「勝利」の文脈で記念されるか,予察的に述べるならば,基地の記憶そのものは忌まわしい,記念に値しないものとみられているためであるといえる.米軍住宅地であった那覇新都心と小禄金城地区において歴史に配慮したまちづくりが行われたにもかかわらず米軍基地が完全に捨象されていることにそれは明瞭である.あるいはアメリカ時代全体について同じことがいえるかもしれない.
 最後に,米軍基地跡地の記念の新たな可能性を示すものとして,キャンプ瑞慶覧返還に伴う跡地利用計画を指摘しておきたい.この跡地利用計画では,ごく一部とはいえ米軍住宅地の街路や雰囲気の維持・継承がうたわれている.返還自体が現時点では暗礁に乗り上げているものの,基地跡地の(フットの用語では)明確な選別の事例といえ,コザや北谷に続く肯定的な記念の事例となるかどうか注目される.

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