日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: S1505
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ラオス中部農村からタイへの国際人口移動
*中川 聡史
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抄録

1.はじめに
 国連のいう後発開発途上国(LDC)であるラオスの農村においても、近年は人口の流動化が進んでいる。農村地域でも貨幣経済が急速に浸透し、テレビや携帯電話、オートバイなどを購入するために、現金収入を求めての出稼ぎが急増している。国土が南北に長く、やや北に位置する首都ビエンチャンの雇用吸収力が十分でないこともあり、国土の南半分では、ビエンチャンに向かう人口移動よりも、隣国タイのバンコクへ向かう国際人口移動が卓越している。本報告では、2006年からラオス中部、サバンナケット県チャムポーン郡のN村における人口動態や農業生産と人口移動の関連についての調査をもとに、一農村からみた国際人口移動について報告する。

2.調査村について
 N村はラオス第2の都市サバンナケットから東へ約40キロの位置にある。サバンナケットはメコン川を挟んで、タイの都市ムクダハンと向き合い、2006年には両都市間に国際橋が開通した。この橋はベトナムのダナンからミャンマーのモーラメインへと至る「東西回廊」と呼ばれる国際ハイウェイの一部となっている。N村は2006年時点で人口約1,100人、世帯数188、報告者らは2006年から村での聞き取り調査を始めた。本報告は村の166世帯に対しておこなった聞き取り調査の結果と2010年2月にバンコクでおこなったN村出身者29世帯への聞き取り調査に基づいている。

3.N村からみたタイへの人口移動
 調査をおこなった161世帯中、97世帯で1人以上が人口移動を経験していること、人口移動を経験した(現在移動中の世帯員も含む)世帯員は196人で、ラオス国内の移動者は10人、182人がタイへの移動者(バンコク以外は5人)である。圧倒的にバンコクに向かっていることがわかる。このうち117人は調査時点でタイに滞在中であった。移動理由はほぼ全員が仕事である。移動者を出している世帯と出していない世帯の平均水田面積はいずれも1.5haでほぼ同じである。N村からバンコクへの移動は聞き取りによると1985年が最初であるが、急増したのは2000年以降である。2000年は村に電気が通じた年で、それ以降はテレビやオートバイの購入、タイへの人口移動が増加している。移動時の平均年齢は男女とも18~19歳であり、15歳未満での移動も多い。村のティーンエイジャーの過半数はバンコクへの出稼ぎを検討している。村では、2000年以降、耐久諸費材や携帯電話などは激増したが、若い世代の平均就学年数が先行する世代よりもむしろ短く、手っ取り早く現金収入の得られるバンコクへの出稼ぎが教育への無関心を助長していると考えられる。また、祖父母が孫の世話をして、子ども夫婦がバンコクで出稼ぎという世帯が多く見られた。

4.バンコクにおけるN村出身者
 バンコクにおけるN村出身者への聞き取り調査から、29世帯のうち、25世帯は夫婦のみ、あるいは夫婦と子ども、4世帯が単身世帯(いずれも10歳代の女性)であった。夫婦世帯は夫婦とも20歳代前半が多く、子どもを村に残し、バンコクでは夫婦で働いている世帯が目立つ。N村出身者の過半数はバンコク大都市圏内の2カ所あるいは3カ所に集住しており、特定の工場(最大数が働いていたのはベッド用のシーツをつくる工場、他に靴工場)でその多くが働いている。それらの工場はバンコク都の周辺地域、あるいは隣接県に位置する。また、今回の調査対象者の多くは正規の労働許可証を持っていた。

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