抄録
1 はじめに
現在,開発途上国といわれるほとんどの国ぐにで出生力低下が進展している。この低下は先進国の経験とは多分に異なるし,また地域によっても低下の経過や要因も異なることが多い。本報告では,ラオスを例として,北部焼畑村調査を参考にしながら,主に南部のサバンナケット県農村の出生力低下の推移とその要因について検討し,さらに出生力低下と国際移動との関連にも言及する。
2 焼畑村の事例
ラオス農村の出生力低下については,すでに北部のルアンパバン県の農村調査でその実態を明らかにした。調査農村の主要生産物は焼畑による陸稲であった。少なくとも第二次大戦後の死亡率の低下による人口増加は,森林開拓による焼畑地の増加と周辺農村への移動,それに都市への移動によって吸収された。1990年代に森林利用抑制政策が実施され,焼畑面積の増加が困難になり,人口増加は焼畑サイクルの短縮化によって吸収されたが,それも限界に達した。政府は焼畑を制限し,土地の再配分を行い,現金作物の生産を奨励した。一方,市場経済化も進み,義務教育化による子供の教育費の増大など農村でも現金収入を必要とするようになった。これら変化の過程で,政府による緩やかな家族計画プログラムがこの農村に1990年代以降導入され,最近では若い夫婦は子供2人を希望していて,それを実践する割合が高い。
3 自給的水田村の事例
一方,今回対象にした天水田による生産力の低い自給的米作を主とした農村で,出生力が低下する過程を示すと,以下のようになるであろう。
1) 北部農村と同様に,少なくとも第二次世界大戦後にはみられた死亡率低下によって,この村でも人口増加がみられた。
2) この村では,上述北部農村と違って,増加人口が村外部に出ることはあまり多くなかった。農村間移動では近隣農村や遠方の開拓農村に移動することは少なかった。
3) 非農業雇用を求めての村外への人口移動も少なかった。40キロ先の人口5万のサバンナケットの人口吸収力は弱かったこと,500キロ先の人口50万の首都ビエンチャンも遠距離であることとやはり人口吸収力は大きくなかった。増加人口の大半は村の中で新しい世帯を形成した。
4) この村の増加する人口の多くは森林開拓による水田の増加によって吸収された。そのため,この村の水田の新規開拓はおおよそ30年前には終わったが,増加する人口のために,農家当たりの経営耕地は減少した。
5) 1990年代後半から化学肥料を導入するようになり,面積当たり収量は有機肥料に比べて2-4倍ほどになったが,村に滞留する増加人口が収量の増大を相殺するという性格が強かった。
6) この村でも化学肥料購入等に示されるように,次第に市場経済が浸透してきたが,主要現金収入は水牛,飼育牛,鶏,アヒル等を村にある森林や水田,それに庭先で養育し,販売することで得られた。一部農家は,チリや,マンゴーなどの果樹栽培を始めた。
7) 1990年前半以降のラオス政府による緩やかな家族政策がこの村にも導入された。30歳代前半以前の若い夫婦はインジェクション,ピル等による避妊が一般に行われている。しかし北部調査村に比べて,家族計画実施率はむしろ低い傾向にある。現在,若い人々の望む子供数は1-5人程度とまだばらつきが見られる。
8) 2000年頃から多くなってきたタイへの国際移動は,農業,生活,人口変動に影響を与えた。トラクターや耐久消費財購入を増加させ,市場経済化を進展させた。また,耕地細分化によって農業のみで生活できない零細農家の存続を可能にしている。人口面では,タイへの出稼ぎ国際移動は,移動者の結婚年齢を上昇させ,移動する夫婦の出産を抑制させ,国際移動は出生力をさらに低下させる役割をもつと考えられる。