抄録
生態系サービスと生物多様性
第10回生物多様性条約締結国会議(CoP10)の今年、生物多様性をめぐるさまざまな議論がなされている。生物の多様性に関する議論を人間の関与や関わりを抜きにして語ることは片手落ちであろう。国連によるミレニアム生態系評価(MA)のなかでいみじくもふれられているように、人間が生態系からさまざまな恩恵、つまり「生態系サービス」を享受していることを包括的に理解すべきであろう。
生態系サービスは供給、調節、文化、基盤維持、保全と多面的であり、その多様な側面こそが生物多様性の考察には欠かせない。
人間にとり有用、有害となる生物資源だけを取り上げる発想は人間中心主義といってよく、使用価値と交換価値に依拠したものである。しかし、有用性と有害性だけの論理から排除される「ただの生き物」は無数にあり、むしろただの生き物が生態系を構成していること、人間が関知しないさまざまな機能を担っていることを理解することが肝心ではないか。
部屋のなかで議論するよりも、野外に出て生物多様性を実感すべきとの意見がある。それはそれとして分かるのだが、具体的な捉まえどころを何に求めれば良いだろうか。
水がつなぐ生物多様性
事例として、森、川、湧水、海の連関のなかで生物多様性を考えてみたい。山形県飽海郡遊佐町にある月光川は鳥海山に発し、庄内の遊佐平野を流れて日本海に注ぐ河川である。月光川の1支流である牛渡川では、35種の生息魚類のなかで在来魚が92%を占める。国内移入種のニジマスなどをのぞけば、有害魚はブラックバスだけである。アユやサケなどは有用な食料資源となるが、ウシモツゴ、イトヨ、アユアケなどは「ただの魚」であり、かつては子どもたちの川遊びの対象であった。しかし、農業セクターの近代化、農薬使用などでその生息環境は確実に劣化し、いまでは「ただの魚」の多くが絶滅危惧種としてレッドデータに登録されるようになった。
牛渡川は鳥海山の湧水に由来し、水温が14℃と安定した貧栄養河川である。この流域では、縄文時代以来、人びとは湧水を生活に使うとともにサケや汽水域・沿岸域の生き物を食料として利用してきた。また、沿岸数km内の海底からは湧水が湧きだし、豊かな藻場を形成している。海底湧水の湧く藻場ではイワガキが繁殖し、ハタハタの産卵場ともなっている。つまり、湧水は人間の暮らしを維持するとともに、多様な生き物をつなぐ重要な媒介物となってきたのである。
生態系をつなぐ関係性を理解する
生物多様性に関する教育を現場で考える場合、もともと多様性がもつ意味を伝えることは難しい。なぜなら、生態系を構成する要素は無限にあり、その関係も複雑であり、即座に理解することはできない。こうしたなかで、実体験を踏まえた知識をどのように伝えていけばよいだろうか。第1は、有用性と有害性とは別の価値をもつであろう「ただの生き物」についての議論を喚起することである。第2は、生き物同士がつながっていることを、たとえば水を媒介としたつながりとして考えることである。さらに、生態学的な「つながり」の連鎖が人間の暮らしや文化とも深く関わっていることを伝えること、そして多くの知恵の源泉となる「地域の宝物」を発掘することこそが重要ではないだろうか。