日本地理学会発表要旨集
2010年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: S1802
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外邦図を利用したアジア太平洋地域の景観変化研究の可能性
*小林 茂多田 元信林 香枝波江 彰彦
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抄録

はじめに
 1945年8月まで、日本がアジア太平洋地域について作製した地図を外邦図と呼んでいる。本来日本軍が作製した同地域の地図をさすが、今日では旧植民地について臨時土地調査局などが作製したものも広義の外邦図と考えられるようになっている。作製以後65年以上が経過し、すでに古地図となっているが、同時にこの地域の景観変化の研究の素材として意義をもつ可能性が大きい。ただしその作製の主体や経過はさまざまであり、仕様や精度も多様で、本格的な景観変化研究に利用するには、一定の配慮が必要である。本発表では、朝鮮半島と台湾における作製時期と仕様のちがう地形図の比較にむけた作業の結果を報告し、その可能性を考えたい。
使用する地形図 朝鮮半島については、日清戦争期につづく時期(1895-1906年)に測図された5万分の1図(「略図」)および朝鮮総督府臨時土地調査局が1914-1918年に測図した5万分の1地形図を使用する。前者は朝鮮半島の最も早い時期に作製された地形図で、図根点は「図解法」(平板測量)で設定された。後者は同地域でおこなわれた最初の本格的三角測量(三角形の閉塞誤差は、<5秒。経緯度原点は対馬連絡三角網により、日本本土の三角網を延長して設定)によるものである。他方台湾については、台湾総督府臨時台湾土地調査局が三等三角測量(三角形の閉塞誤差は、<10秒。経緯度原点は海軍の天測結果により設定)をもとに、1900-1902年に測図した2万分の1「台湾堡図」ならびに陸地測量部によって、日本本土と同様の三角測量(経緯度原点は1906年に設定された虎仔山一等三角点)をもとに1921-1928年に測図された2万5千分の1地形図を利用した。
このうち朝鮮半島の「略図」は高麗大学の南縈佑教授、「台湾堡図」は台湾中央研究院の施添福研究員によってそれぞれリプリントが刊行されている。また朝鮮総督府臨時土地調査局の5万分の1地形図および陸地測量部の2万5千分の1地形図(台湾)についても、日本国内で作製されたリプリントがある。
対応する地図の比較対照 朝鮮については臨時土地調査局の5万分の1地形図の「京城」図幅、台湾については2万5千分の1地形図の「台北西部」図幅をスキャンしてArcMapに読み込み、四隅の経緯度を入力してベースマップとした。投影法は多円錐図法とした。これらに朝鮮「略図」の「漢城」図幅および「台湾堡図」の「台北」図幅をそれぞれ重ね合わせ、対応の明確なコントロール・ポイントを入力し、アフィン変換をおこなったところ、台北については図郭がずれているものの、記入されている地物の位置はかなりよく一致した。しかしソウル(漢城・京城)については、両者ともよく一致しなかった。台湾の場合は経緯度原点にちがいがあるとはいえ、いずれの図も三角測量により図根点が設定されているのに対し、朝鮮の場合は、「略図」と臨時土地調査局作製図の図根点の設定の方法が基本的にちがうことがこの背景としてあることが明らかである。なお、朝鮮の「略図」と臨時土地調査局作製図にみえる同一地点の経緯度を図上で計測し、比較したところ、両者の間にはかなりの差があることが多く、経緯線を基準にすると、大きなものでは図上距離にして数キロメートルもの差がみとめられる。このような点から朝鮮の「略図」と臨時土地調査局作製図を比較して景観変化を検討するには、慎重におこなう必要のあることが判明した。
 以上の成果をもとに、今後は各種外邦図の経緯度原点や測量精度などを順次調査し、比較可能性を確認するとともに、各種土地利用の面積の変化を含む本格的比較作業に着手したい。

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