抄録
1 はじめに
雲仙普賢岳における1990-95年噴火以降,普賢岳から有明海へと注ぐ水無川流域の地形変化は,火砕流と土石流による地形変化と復興事業として行われた人為的な地形変化からなる.本研究では,1990-95年噴火終了以降における水無川流域の地形変化を経年的に明らかにし,噴火終了後約15年間に地形がどのように変化してきたのか検討した.
2 研究方法
国土地理院発行の25,000分の1旧版地形図および最新の地形図「島原」,「雲仙」を使用し,水系,河床地形の主題図を作成し,年ごとに比較を行った.使用する地形図の発行年は,噴火以前の1985年,噴火直後の1994年,水無川災害復旧事業が完了した1996年,そして最新の2001年である.
3 結果・考察
3-1 水系変化
水系の変化では,1985-2001年にかけて水流路の本数が増加している.特に1996-2001年の5年間には,1次水流路の増加が顕著にみられた.水流路の発達は,雨水による地表面の侵食が進んでいることを表しているため,噴火の際に堆積した不安定な堆積物の掃流が起こり,5年間という短期間であっても地形変化が大きかったと考えられる.
3-2 河床地形の変化
河床縦断面図による解析では,水無川流域を大きく4つの区間を分けることができた.すなわち,上流より変化がないA区間,経年的に堆積が進んだB区間,侵食と堆積を繰り返しているC区間,人為的に地形改変が行われているD区間である.B区間では,噴火後に標高700m地点から同300mにかけての,河床が上昇しており,火砕流堆積物の再移動による堆積が継続して行われていると考えられる.特に赤松谷が位置する標高700m付近から同300mでは,最大約50mの河床の上昇が見られた.1985-94年の河床の上昇では,赤松谷に流れ込んだ火砕流堆積物も侵食・運搬された土砂が堆積していると考えられる. 次に標高300~55mのC区間では,侵食と堆積が交互に繰り返されている.上流から運搬され堆積した土砂,は堆積したが不安定なため,侵食・運搬され下流への土砂の移動があると考えられる.最後に,55mから河口までのD区間では,人為的な地形変化が見られる.1994年には,土石流が有明海までに到達した.その影響で土石流堆積物が海岸線の位置まで堆積して河床面が上昇している.2001年の河床縦断面は,水無川復旧事業が完了し多くの砂防ダム・導流堤が築かれたため,河床勾配も安定を示すと考えられる.
4 おわりに
雲仙普賢岳の1990‐95年噴火による水無川流域の地形変化をみることができた.水無川の流域は赤松谷付近と河口を中心とした地形の変化が顕著にみられた.1994年までには,赤松谷の標高700~300mにかけて大量の土砂の堆積が見られた,標高が高くなり河床の勾配も増すため,侵食量も増し流路の発達が顕著にみられた.今後も経年的に流路の発達は見られるだろうが,火砕流堆積物や侵食された土砂は,噴火が終息したために生産される量が少なる.そのため既存の土砂が運搬され,下流に掃流されるために,現在,堆積している堆積物は,下流へ移動すると考えられる.土石流と流路の発達の関係については,不明瞭な点が残り,今後の課題となった.