抄録
【背景と目的】
地球環境問題や生物多様性への関心の高まりがある一方で,子供たちの自然観察の機会は減り,理科離れが進む要因の一つとなっている。地球環境をめぐる様々な問題は複雑に絡み合っており,総合的かつ広い分野での効果的な取り組みが期待される。例えば土壌の劣化・汚染は砂漠化,食料問題,生物多様性に深く関係しているが,国内では土壌に対する理解・認識が諸外国に比べて低いことが指摘されており,日本土壌肥料学会の土壌教育委員会では,土壌の理解に向けた幅広い活動を展開している(福田,2006;平井,2007など)。しかしながら,土壌は学習指導要領での扱いがなされないことから,指導者たちにとっても自然観察や野外観察の学習プログラムに土壌を題材にした単元を組み込むことが難しい(福田,2010など)。今回,筆者らは,森林土壌から検出される菌核を用いた体験型展示イベントを企画する機会を得た。今後,より実践的なプログラムとして発展させていくため,その概要を報告する。
【イベントの概要】
菌核とは,外生菌根菌であるセノコッカム属が土壌中に形成する,直径0.2~4mm程度の黒色の休眠体である。冷温帯の森林土壌を中心に分布しており,滑らかな表面を持ち,完全な球状を示す場合も多い。特徴的な外観であるため,土壌を注意深く観察すれば,野外でも目視により容易に発見することができる。また,菌核内部は特徴的な中空構造を持っており,細胞壁に由来するセル構造は微生物の棲息空間となっている。今回は,菌核が多量に含まれる岐阜県御嶽山の土壌を使用した。
ここで報告するイベントは,東京都科学技術週間特別行事の一環として日本科学未来館において2010年4月17日午前10時から午後5時まで実施された。会場には,菌根菌や菌核などについての子ども向けの解説文と図解に,専門的な解説文を併記したポスターを掲示した。また,『土の絵本』(日本土壌肥料学会編,農文協)など,一般向けの土壌解説書や土壌モノリスを展示した。参加は随時受け付け,次の1~5の手順で作業をさせた。1:一人ずつトレイに土壌(10g程度)を受け取り,ピンセットを用いて菌核をプラスチック製シャーレに採取;2:光学顕微鏡による観察;3:超音波洗浄;4:電子天秤(AUX220,島津製作所)による重さの秤量;5:デジタルマイクロスコープ(VHX-1000,Keyence)による菌核の外観,あるいはカッターにより切断した切断面の詳細な観察・撮影。最後に,予め作成しておいたテンプレートに菌核の顕微鏡画像を取り込み,観察者の名前,採取した菌核の数・重さの記録等を入力してオリジナル記念カードとして筆者らが印刷し,参加者に配布した。使用した試料は,作業終了後に全て回収した。
【結果と考察】
幼齢児童から高齢者に至る多数の来場者があり,約50名が菌核採取を行った。おおよその男女比は1:1で,参加者の多くは幼稚園児から小学校低学年児童であったが,中学生・高校生や学校教員も含まれた。また,高齢者が夢中になって菌核を探す例もみられた。参加者からは「菌核はどこにでもあるの?」・「家の庭にもあるの?」といった質問が寄せられ,“未知のもの”との出会いから,“フィールド空間”の認識へと発展させていく要素も含んでいた。
本イベントは,これまでの土壌教育が試みているように,土壌の性質や機能を伝える性質のものではなかったが,未知の自然物を発見する喜びを体験し,高度な観察により天然物の構造と機能に対する好奇心を促すことができた。これをさらに実践的なプログラムとするための検証と改善を行っていくことで,理科教育・環境教育として,自然観察を柱とする科学体験の手法を提案していきたい。
【引用文献】
平井英明(2007)土を教える活動からわかったこと.Edaphologia,81,47-50
福田 直(2010)土壌教育の課題と改善の試み.地理55 (3),22-30
福田 直(2006)わが国における小学校・中学校・高等学校の土壌教育の現状と展望.日本土壌肥料学雑誌,77,597-605