抄録
1.はじめに
小荒井ほか(2006)は、迅速測図原図(以下、「迅速図」と呼ぶ)、米軍空中写真等の時系列地理情報を使って、多摩丘陵の植生の時系列変化の把握を試みた。多摩丘陵の明治初期の森林は、大半がナラ・雑木等の落葉樹林で、現在も自然度の高いナラ林が残っている箇所は迅速図でも注記で「楢」と記載されていた。多摩丘陵は比較的単純な樹種構成のため、より構成が複雑で稜線から海岸まで含む三浦半島(約210km2)を対象に、迅速図から明治初期の植生を読み取って、環境省の現存植生図データと比較した。
2.データ作成方法
使用した迅速図は075~081、084~100、102である。1/2.5万地形図の画像データから道路交差点等をGCPとして1図面あたり4~5点取り、アフェイン変換により幾何補正を行った。迅速図上に記載されている土地利用に関する文字・着色区分をもとに、地形的な特徴や図式(崖記号等)を参考にしながら、迅速図上で植生を判読して境界線を記入し、GISを用いてポリンゴンデータを作成した。現代の植生分布状況等を参考にしながら植生凡例への置き換えを行った。迅速図から読み取れる森林植生は、クヌギ、カシワ、シイ、ナラ、マツ、雑木、低木、竹林、スギ植林である。また、環境省現存植生図(縮尺1/2.5万)のGISデータと比較するために、植生凡例をもとに植生自然度を設定した。明治初期と2000年代の三浦半島の植生自然度別の面積割合を図1に示す。
3.植生区分の経年変化
明治初期の植生は、低木林に分類される森林域が全区分の中で最も多く、全体の1/4以上を占める。次いで二次林・自然林(約22%)で、植林を含めた森林植生は、三浦半島全体の半分を占めていた。森林域には自然性の高いものは少なく、多くの森林は利用・維持管理の中で持続されているものと想定される。2000年代には森林植生は、約30%に減少している。人との関わりが強いと想定される低木林の減少が顕著であり(27%→6.2%)、市街化による影響のほか、森林との係り方の変化が想定される。一方、より自然度の高い二次林・自然林は2000年代でも20%は残されており、面積割合の大きな変化は無く、良好な自然が残されている傾向が読み取れる。海岸域では特殊な立地条件に成立している自然草原が多くみられており、明治初期には全体の約3%近くを占めていた。2000年代には0.2%まで減少しており、環境資源が消失していることが懸念される。
流域別に見ると、低木林、二次林・自然林の占める割合は東京湾側での減少が著しく、:横須賀北部流域では約50%から約10%へと減少している。相模湾側の小田和湾等流域では、明治初期及び2000年代ともに約40%弱を占め、経年的な変動は少ない。逗子海岸流域では、2次林・自然林が両時期とも約35%存在しており、自然が残されている。2000年代にまとまりのある二次林・自然林が残されているのは、逗子海岸沿岸の森戸川源流域、三浦市南部流域の小網代湾沿岸等である。自然草原については、明治初期には横須賀市南部流域や三浦市南部流域で約7~9%を占めていたが、2000年代にはほとんど残されていない。
