抄録
研究の背景と目的
岩手県滝沢村の春子谷地湿原は,岩手火山南東麓の標高約450 mに位置し,面積は約16 haである。岩手火山麓には山体を取り巻いて広大な火山麓扇状地が発達するが,春子谷地は第三紀層のつくる山塊の背後に位置するため,河川源流部が扇状地堆積物によって閉塞されたことによって形成された。ボーリングによって得た湿原堆積物の層相変化と14C年代から,春子谷地での泥炭形成は約13,000年前に始まり,約10,000年前以降は無機物含量の少ない泥炭が連続的に堆積する湿原環境が維持されてきたと考えられる。活火山麓にありながら,ほとんどのテフラ降下軸から外れているため,泥炭層中に挟まるテフラは少ない。
東西に細長い春子谷地は,上流側にあたる西部がミズゴケの高まりの点在する中間湿原,下流側にあたる東部がスゲにヨシの混じる低層湿原となっている。湿原の周囲は開発が進んでおり,南側に採草地,北側に放牧場が隣接する。この放牧場は昭和40年代前半に造成されたが,放牧場から湿原北東部に流入する小河川に沿って顕著な湿地林の拡大(=湿原の縮小)が生じている。湿地林拡大の原因として,放牧場造成に伴う湿原への土砂流入が指摘されている。
1962~2005年の7時期の空中写真を比較すると,上記の小河川沿い以外でも湿原植生の変化が生じている場所がある。これらの場所においても隣接地からの土砂流入が生じているのかを検討するために,湿原堆積物に含まれる無機物含量の時代変化を明らかにし,その結果と近年の湿原植生変化との対応関係を検討した。
調査方法
土砂流入量の時代変化を検討するために,湿原の複数地点から表層部のコアを採取し,多くの深度で泥炭の強熱減量を測定した。残渣率から求めた無機物含量がすべて流入土砂に由来するものではないが,本研究の精度であれば同等と見なしても構わないであろう。
無機物含量の時代変化と放牧場造成との関係を検討するためには,各コアについて昭和40年代の堆積深度を知りたいが,それは困難である。そこで,最上位のテフラである西暦1686年の岩手山刈屋スコリア(Iw-KS; 分布層厚約5 cm)までの表層堆積物を採取し,最近300年間での深さ方向の無機物含量の変化傾向を明らかにした。泥炭の無機物含量は,土砂流入量に時代変化が生じていない場合,表層ほど低下する。表層は植物遺体の分解が進んでおらず,また,圧密の関係で単位体積の泥炭が意味する堆積時間も短いためである。そのため,表層とIw-KS深度からの内挿で堆積物の年代を求めることもできない。そこで,深さごとの無機物含量の変化を見たときに,一般的傾向に反して表層に向かって増加を示すコア採取地点は,近年になって土砂流入量が増えたと判断した。その増加時期を厳密に特定することはできないが,約300年前以降のある時期に低下から増加に転じたならば,放牧場造成と関係があると見なした。
結果と考察
湿原各地点の表層堆積物から推測した土砂流入量の時代変化と,その地点での湿原植生の変化とを比較した結果,以下の(1)~(3)に分類された。
(1):土砂流入量が増加し,植生が変化した
(2):土砂流入量は変化していないが,植生が変化した
(3):土砂流入量に変化はなく,植生も変化していない
なお,表層に向かって無機物含量が低下することを標準としているため,もし土砂流入量が減少している地点があっても,方法的に読み取れない。また,「植生が変化した」の「変化」とは,いずれも通常の湿原植生遷移の方向のみである。すなわち,スゲ主体の低層湿原→ヨシ→疎らな湿地林→湿地林,あるいは,中間湿原→疎らな湿地林→湿地林という変化である。森林が湿原へと変化する逆方向の植生変化については,たとえ生じていたとしても,今回の空中写真の撮影期間約40年間では,写真を見て分かるほどの植生変化となって現れるには時間的に短すぎると考えられる。
以上の変化(1)~(3)の分布を地図上に落としてみると,(1)を示す地点は放牧場から流入する小河川沿いに限られた。一方,無機物含量の増加が認められないにもかかわらず植生が変化した(2)を示す地点は,湿原外縁の湧水から流れ出ている流路沿い,または,湿原南側に隣接する採草地に近い場所であった。散布する石灰などの影響が考えられる採草地はともかくとして,土地利用にも変化が見られない湧水から流れ出る流路沿いで植生が変化していることは,湿原を涵養する一部の湧水において,開発に伴って水質に何らかの変化が生じた可能性を考える必要があろう。