日本地理学会発表要旨集
2011年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 317
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中部ベトナムにおけるモノカルチャー的ゴム栽培の拡大と地域ガバナンスの変容
*金 どぅ哲ツオン クァン・ホアングエン ティン・ミン・アン
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抄録
ベトナムの山岳地帯では,主に少数民族によって,伝統的に広く焼畑が行われてきた。しかし,ベトナム政府は焼畑農業を森林破壊の主たる要因として非難し,南北統一以降,統治機構と物理的な手段で,焼畑林野土地から彼らを排除する政策を取ってきた。特に中部ベトナムの焼畑少数民族は,一定範囲のテリトリーを約10年周期で巡回しながら焼畑農業を営む,いわば巡回焼畑農民(semi-shifting cultivators)であり,彼らの焼畑地は集落から近い林野土地であった。ところが,戦争後の人口増加とベトナム政府による焼畑抑制策(政府系林業公社等の林野土地の囲い込み)により彼らの伝統的な焼畑対象地は狭まっていったが,それを代替する生業としての水田の普及は極めて限られていた。こうした状況でベトナムの巡回焼畑農民の多くは,林業警察らの監視の目が届かない,より条件の厳しい奥山に焼畑地を求めざるを得なくなり,略奪的な焼畑農業と不法伐採などで生計を維持して行くのは一般的であった。このような山地焼畑農民の抵抗を効果的に制御できなかったベトナム政府は1990年代以降,?@少数民族による焼畑農業の抑制と定住農業への転換,?A森林保護,?B山地民の生活向上を目的とした林野土地の配分政策を実施してきた。こうした林野土地配分は,脆弱な行政システムの下に,林野土地と元来のその利用者であった少数民族に対する「干渉(intervention)」を強めながら,他方ではほかの林地に対する「制御(restriction)」を強化しようとするベトナム政府の「ムチと飴」とも言える。そして,配分された林野土地(その大半が元の焼畑林野土地)ではゴムやアカシアのプランテーションが奨励され,他の林地での焼畑はより厳しく禁止されるようになった。その結果,とりわけ中部ベトナムの山地利用は極めて短期間で,巡回焼畑からモノカルチャー的なゴム・アカシアのプランテーションに取って代わっている。そこで,本研究ではベトナム中部のフエ省トゥンクァン村を事例に,ベトナム政府による林野土地配分政策の実態を明らかにするとともに,配分された林野土地でのモノカルチャー的なゴム・アカシアのプランテーションが住民生活に及ぼした影響を,世帯レベルでの経営戦略の変化と地域ガバナンスの変容から解明したい。
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© 2011 公益社団法人 日本地理学会
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