抄録
今日の日本では,近代化に大きく貢献した明治期以降の産業とその遺構に注目が集まっている.日本の近代化を支えた構造物の総体を近代化遺産と捉え,具体的な構造物が遺産として保存されるようになった.しかし,近代化遺産には当時の人々の営みが背景にある.近代化遺産の保存には構造物を保存するだけにとどまらず,構造物を含めた地域や生活の営みを保存し,後世に語り継ぐ必要がある.それには地域の人々が近代化遺産の意義をよく理解し,地域を象徴するものであると自覚しなければならない.つまり,地域の人々が近代化遺産の保存活用を通じて自己のアイデンティティを確立することが必要である.そこで本研究では,長野県須坂市に存在した米子鉱山を事例に,鉱山に対する人々のアイデンティティに注目し,近代化遺産としての米子鉱山の保存の可能性について考察する.
米子鉱山での生活で経験した楽しい思い出や辛い思い出は,狭い地域の中で個々に共有され,鉱山関係者というアイデンティティを生み出した.鉱山閉山後も鉱山関係者というアイデンティティが消えることはなく,鉱山関係者による同窓組織が結成された.この組織は,鉱山の記憶を現在に残すため積極的な活動を行ってきた.近年,近代化遺産の価値が注目される中,米子鉱山を近代化遺産として保存活用する動きが高まり,保存活用事業が始まった.このような行政の活動は鉱山関係者のアイデンティティをより強固なものにしたが,鉱山にあった施設は取り壊され,鉱山の様子は,写真や鉱山関係者の語りから想像するしかない.また,鉱山関係者の高齢化が進み,同窓組織の会員数が減少するにつれて,語れる者が減少し,積極的な保存活動を行うことは困難になった.行政としては,市民から保存活用の活動が起こらない限り,鉱山の保存活用事業は終了せざるを得ないという.近代化遺産の保存,活用には,行政や地域住民が遺産の意義を理解し,その遺産が地域を象徴するものであることを認識する必要がある.構造物を可視的に保存し,地域の象徴と捉えることも必要だが,その意義を後世が理解し,そこでの人々の営みを語り継ぐ必要がある.米子鉱山においては,可視的に保存できるものは皆無となった.そして,鉱山関係者が減少する中で,いかにして米子鉱山での営みを後世に語り継ぎ,さらに須坂における米子鉱山の意義を後世がアイデンティティとして確立できるかが大きな課題である.