抄録
_I_.はじめに
本報告は、インドの国内の地域格差問題をふまえて、条件不利地域であるインドの山岳地域の経済発展について、2つの山岳州、ヒマーチャル・プラデーシュ州(HP州、人口608万人)とウッタラカンド州(UK州、849万人)の比較考察を行う。この2州は隣接するが、歴史的経緯や政策面で異なるところが多い。前者は独立時に連邦直轄領となり、その後1971年という早い時期に州に昇格し、経済開発を進めてきたのに対し、後者は2000年にウッタル・プラデーシュ州から分離して独立した州となり独自の政策がとれるようになった。そして、この2州間にはかなりの経済的な格差が存在する。ここでは経済発展の実態を確認するとともに、地域格差の要因についても検討してみたい。
_II_.経済発展の地域格差
州の所得水準を示す1人当たり純州内生産(NSDP)でみると、HP州は全国でも最も所得の高いグループに入り、UK州を大きく上回っている。2008年度では、HP州は44,538ルピーで、UK州の36,520ルピーの約1.2倍である。他方、UK州はインド全体の37,490ルピーをもやや下回る。ただ、1999年度にHP州がUK州の約1.5倍であったのと比べると、両州の格差は縮小してきている。これはUK州が、この間、年率10_%_を超えるようなきわめて高い成長をとげてきたからである。このような2州間の格差は電化世帯率(HP州98_%_、UK 州67_%_)、10万人当たりの自動車所有台数(801台、465台)、100人当たり携帯電話台数(30台、6.8台)など、多くの指標でも確かめられる。なお、識字率(2001年)はともにインド全体の65.3_%_を超えるが、HP州が77.1_%_、UK州が72.3_%_であり、HP州の方が高い。
_III_.工業化の展開
HP州とUK州の工業化は、山岳地域ではなく山麓平原部の州境付近で進行した点が共通している。しかし、これらの工業化の時期には大きな相違がある。HP州では、州政府が早い時期から工業化の推進に努め、パンジャーブ州に近接する地域で工業団地開発を行った。1990年代前半には工業投資の伸びが特に著しく、これには州による立地企業への補助金も有効に作用した。これに対して、UK州は分離前のUP州の下で、1980年代に山岳地域でエレクトロニクス産業を中心に工業化を推進しようとしたが、成功しなかった。結局、州として独立後の2000年代に、中央政府の後進州向け産業政策に依存して山麓部で大規模な工業開発を実施した。工業化は多くの質の良い労働力を必要とするが、ITI(産業訓練校)等による工業労働者の養成においてもHP州の取り組みが優れている。このような工業化の展開における差異が、両州間の経済的格差の生成に関わっていると考えられる。ただ、両州ともにICT産業の振興に成功しているとはいえず、今後の政策課題となっている。
_IV_.農業における商品生産の展開
工業化においてはUK州がHP州にキャッチアップしつつあるが、農業生産では未だ大きな開きがみられる。HP州は今日インドでも有数のリンゴ産地となっている。1970年代以降急速に成長した新しい産地で、1970年から2008年の間に面積は3.6倍、生産量は5倍にも伸びた。リンゴ栽培は、標高の高い山岳地域が適地であり、また単位面積当たりの収益も高いため、広範な山岳地域農村の経済発展に大きな役割を果たしている。この背景には、州による果樹栽培の強力な振興策があったが、近年の経済成長は需要の拡大をもたらし、この地域の農業に波及効果をもたらしている。これに対して、UK州では、山麓部の平原地域に大規模な商業的農業がみられるものの、条件不利な山岳地域では基幹的な商品作物は育っていない。州は有機農産物の推進に力を入れているが、未だ十分な成果をあげえていないのが実情である。
_V_.おわりに
ヒマラヤ山岳地域において隣接するインドの2州の間には顕著な経済的格差がみられる。これをもたらしたものは何であろうか。一つは、計画経済下での州の役割の大きさがあげられよう。この時期には工業団地開発をはじめとして地域開発において州が大きな力を有していた。それゆえ、州として早くに独立したHP州の方が独自の経済開発戦略を推進できる余地があった。二つには、工業化に関しては、既存の産業集積との近接性が作用したと考えられる。HP州はパンジャーブ州という早くから工業化の進んだ地域に隣接し、工場誘致に有利であった。ただ、経済自由化後はデリー大都市圏の成長が著しく、2州ともにこの大都市を中心とした空間構造に包摂されつつあるといえよう。その影響は工業のみならず、観光開発や農業生産にも及ぶ。それにともない、山岳州内の地域分化が進み、今後は、州内の地域格差への対応が重要な政策課題になると予想される。