日本地理学会発表要旨集
2011年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 601
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石器時代における黒曜石製遺物の原産地―消費地の経路からみた環境適応
*杉原 重夫
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抄録

 日本各地で産出する黒曜石(黒曜岩)は、石器時代における石材資源として貴重な存在であった。これらの黒曜石製遺物の産地推定は、顕微鏡による晶子形態の観察、フィッション・トラック年代測定、機器中性子放射化分析(INAA)、蛍光X線装置(WDX・EDX)やエレクトロンプルーブX線マイクロアナライザー(EPMA)による元素分析など、さまざまな方法が用いられている。なかでもエネルギー分散型蛍光X線分析装置(EDX)を用いた産地分析は、多数の試料を非破壊且つ短時間内に処理できることから、現在では主流な方法である。
 明治大学文化財研究施設では、日本全国の黒曜石原産地の調査成果を基に、各地の石器時代遺跡から出土した黒曜石製遺物の原産地推定を行ってきた。これまでに原産地推定の対象にしたのは250遺跡、遺物数は約30、000点に上る。その結果、北海道白滝・置戸産の黒曜石が樺太の遺跡から、霧ヶ峰産黒曜石が青森県山内丸山遺跡から、神津島産黒曜石が三重県や能登半島の遺跡で利用された例など、広域にわたる黒曜石の原産地―消費地の関係が明らかになってきた。今回は関東各地の旧石器時代~縄文時代遺跡の黒曜石原産地推定データを基に、海洋運搬の手法を効果的に利用したと想定される伊豆諸島・神津島産黒曜石の流通経路や流通範囲の変遷について、海洋環境の変化との関係から考察する。
1) 日本列島に人類が渡来した酸素同位体ステージ3(MIS3)の当初から、神津島産黒曜石は石器石材として使用された。MIS2~1の低海面期の東京湾は陸化しており、神津島産黒曜石については相模湾を北上し相模野台地から武蔵野台地へ至る流通ルートが推定される。
2) 縄文時代早期~前期~中期初頭は縄文海進最盛期と前後し、伊豆大島を中継地とする相模湾北上ルート・東京湾北上ルート・太平洋沿岸ルートが海上経路として開拓されたと推定できる。神津島の南方にある御蔵島や八丈島も神津島産黒曜石の流通圏に含まれる。
3) 縄文時代中期は神津島産黒曜石の流通が最も活発になり、伊豆半島・南関東地方の遺跡では高い比率で利用される。また、古鬼怒湾周辺地域の遺跡からも、太平洋沿岸ルートより搬入したと推定される神津島産黒曜石の利用が卓越する。伊豆半島東部の見高段間遺跡は伊豆半島を縦断して駿河湾東部沿岸地方に至る黒曜石の流通ルートとして重要な中継地であったと推察できる。
4) 縄文時代後期~晩期になると、伊豆諸島では依然として神津島産の利用比率が高い状態が維持されるものの、その他の地域では利用比率が低下し、相模湾北上ルート・東京湾北上ルートに限定される。このことは伊豆大島・下高洞遺跡における神津島産黒曜石の時期別利用比率の変化からも認められる。
 神津島産黒曜石の利用を考えた場合、伊豆大島が神津島産黒曜石の流通ルート上において重要な位置を占めていたと推定できる。このような黒曜石の流通には海洋環境に適応した運搬手段(舟・筏等)が利用されたと考えられる。今後は全黒曜石製遺物を対象とした分析や新たな遺跡発掘調査により、神津島産黒曜石の流通圏について議論を深めたい。

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