抄録
アレクサンドリア学からは遺跡分布にデルタ「緑地」での流通が指摘され、マリユート湖での海洋~湖~ナイル小支流~ナイル本流を経由して、アレクサンドリアがヒト・モノの集散・拡散地点となったことが説明されている。アレクサンドリア西方では墓地・信仰の中心地が形成され、ぶどうやオリーブ栽培と地場産業が示されてきた。しかしながら、既往研究では低湿地へのイメージが欠如していた。長谷川らの最近3カ年の調査からマンザラ湖からマリユート湖までの湖は完新世の温暖期を境に大きな環境変化を受けたと考えられる人間の足跡が認められ、イドゥク湖とマハムディーヤ運河に挟まれた地区にヘレニズム時代の遺跡が多数分布し、標高1mに相当していることが分かった。アレキサンドリア周辺に見られる砂丘、砂州、ラグーンなどには過去の環境変化を描きだすための様々な指標が隠されおり、今後の調査が待たれる。