抄録
日本統治時代の台湾において使用された販売肥料は,概ね島外から輸移入されてきた.但し,日本統治時代の台湾島内において肥料工場が経営されて肥料を生産したことは否定できない.1941年まで台湾島内での肥料自給率が上昇していたことは事実であり,台湾島内において肥料を製造する工場の数の増加,或いは生産能力の向上が考えられる.この研究の目的は日本統治時代の台湾における肥料の生産が空間的に展開した地域的構造を明らかにし,さらにこの地域的構造が示す台湾人と日本人の肥料生産の空間的な特徴を考察することである.