抄録
1821年、M.A.テイラー発案による、蒸気機関由来の煙害の起訴、軽減を促進する法律がイギリスで成立した。この法律はこれまで大気汚染史ではほとんど取り扱われてこなかった。しかし、ヨークシャーではこの法律に刺激され、工場主たちに完全燃焼技術を取り入れるよう求める中産階級主体の市民集会が開かれ、何十人もの工場主たちが起訴されている。この研究は、リーズに焦点をあて、テイラー法がどのように煙に対する様々な考え方に影響を与えたかを検証するものであり、地理学上の議論としては、特に科学や知識のネットワーク理論によっている。
テイラー法の成立の鍵となったのは、完全燃焼技術の存在である。特に、ウォーリックの工場主パークスの完全燃焼技術の完成度はテイラー法成立に大きな影響を与えた。リーズではパークスのような全国的に知られるようになった完全燃焼の装置とは別に、リーズのエンジニア、プリチャード考案の装置も宣伝された。しかし、リーズ最大級のウール工場の工場主であるB.ゴットはプリチャードの完全燃焼装置導入によって、幾度にもわたる工場の停止を経験した。ゴットはこれにより完全燃焼技術への不信感を得、リーズの反煙害委員会との間で裁判に持ち込まれる事態となった。一方でリーズの多くの工場主たちは訴訟を恐れ、完全燃焼技術を取り入れており、リーズの反煙害運動は完全燃焼技術の導入という点においては成功を収めている。
このような運動の盛り上がりのなか、リーズの地方紙であるリーズマーキュリーに、リーズの隣町、ブラッドフォードの市民による投書が掲載された。これは煙を工業発展のシンボルとしてとらえる詩であり、反煙害運動への反感はここでも示されている。これはリーズ周辺で煙に対する新たな考え方「繁栄の象徴」が生まれることを示すものである。同様に、医学の煙に対する知見も反煙害運動を契機に変わっていく。17世紀後半から医学の専門的な見解では、石炭由来の煙は健康には悪影響を与えないとされていた。しかし、リーズで外科医を務めたR.ベイカーは1840年ごろ、石炭由来の煙が健康に影響を与えるという見解を記している。
煙をめぐる考え方は相互に影響しあいつつ変化していったといえる。