日本地理学会発表要旨集
2013年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 420
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発表要旨
アメリカ中西部におけるカール・サウアーの地誌学研究
*矢ケ崎 典隆
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抄録
 アメリカ合衆国における地理学の制度化と初期の発展において、中西部の大学と地理学者は重要な役割を演じた。本研究は、20世紀前半におけるアメリカ地理学を主導した地理学者の一人であるカール・サウアーとその地理学思想に着目する。
 サウアーはミズーリ州ウォレントンの出身で、地元の大学を卒業した後、地理学研究の中心であったシカゴ大学大学院で学んで、1915年に博士号を取得した。そして、ミシガン大学での教鞭を経て、1923年にカリフォルニア大学に移り、バークリー学派と呼ばれる文化地理学の流れを樹立したことで知られる。従来、バークリー学派とサウアーに学術的関心が寄せられてきたが、中西部における若き日のサウアーの地理学について検討することは、20世紀初めのアメリカ地理学の動向を知るうえで、また、バークリーにおけるサウアーの新しい学術的展開を理解するうえで重要である。本研究は、中西部時代のサウアーゆかりの地への筆者の訪問を踏まえて、また20世紀初めのアメリカ地理学の動向に照らして、3つの地誌学研究を検討することを目的とする。
 20世紀初めの地理学は現地調査に基づいて自然と人文を論じる地誌学研究であった。サウアーは1910年代と1920年代に3冊の地誌学的な地域モノグラフを執筆した。それぞれの内容と構成は異なり、地域に対するサウアーの関心が徐々に変化したことが理解できる。
 『イリノイ河谷上流部の地理と発展史』(1916年)は、シカゴ大学のソールズバリー教授の指示によって1910年に行われた調査の報告書である。7章から構成され、第1章のはしがきに続いて、第2章から第6章までは地形、地質、氷河などの自然について、第7章は植民と開発について取り扱われた。全体的にシカゴ大学のバローズ教授が刊行した『イリノイ河谷中流域の地理』(1910年)の研究法を踏襲したように見える。
 『ミズーリ州オザーク台地の地理』(1920年)は1915年にシカゴ大学に提出されたサウアーの博士論文である。3部から構成され、第1部が環境、第2部が植民と開発、第3部が最近の経済状況を扱った。イリノイ河谷上流域の研究と比較すると、自然現象に関する記述の比率が低下して人文現象に関する記述の比率が大幅に増加したことがわかる。冒頭のはしがきで、「本書は地誌学(regional geography)の研究であり、それは地理学研究においてもっとも緊急の分野である」という一文で始まる。本書はサウアーにとって郷土研究でもあった。
 一方、ミシガン大学時代にケンタッキー州で行った大学院生を同行した現地調査に基づく報告が、『ペニロイアルの地理』(1927年)として刊行された。この原稿はカリフォルニア大学着任後の1925年に執筆された。序文からは新しい地誌に挑戦するサウアーの意気込みを読み取ることができる。地誌学は特定の地域に関する事実を百科事典のように集めたものではなく、地域の個性を表現することが地理学の課題であると述べられている。
 シカゴ大学での大学院生活とミシガン大学での教員生活の時代に行われた3つの研究は、自然地理学を基盤とした地誌学研究であった。そこには当時のアメリカ地理学の動向が反映されていた。いくつもの大学からの誘いを断ってカリフォルニア大学に異動したことによって、その後のサウアーの地理学は大きく方向性を変えることになる。
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© 2013 公益社団法人 日本地理学会
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