日本地理学会発表要旨集
2013年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 602
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発表要旨
オマーン内陸部ワディ・アル=カビール盆地の考古地理
*近藤 康久野口 淳三木 健裕小口 高
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抄録
オマーン内陸部のワディ・アル=カビール盆地は、ハジャル山脈南麓の、ルブアルハリ沙漠との境界付近に位置する。盆地は東から流入するワディ・アル=カビールと、北から流入するワディ・フワイバという2つのワディの沖積作用によって形成された。この盆地における地形発達史と人類居住史のかかわりを明らかにすることを目的として、遺跡分布調査を実施した。その結果、盆地内で23か所の遺跡ないし遺物散布地を確認した。盆地周縁部の山麓扇状地では、良質なチャートの岩脈の近傍で中期旧石器時代の類ルヴァロワ石器群を含む更新世の剥片石器群を採集した。この石器群は解剖学的現代人ホモ・サピエンスの「出アフリカ」南回りルート(Armitage et al. 2011)の証拠となる可能性があり、今後の研究の進展がまたれる。
前期完新世の人類居住については不明な点が多いが、ファサド型尖頭器と掻器、ドリルを特徴とする当該時期の石器群が、更新世段丘面の削り残しとみられる残存丘上に散布していた。低い山脈の稜線上には、前期青銅器時代ハフィート期(紀元前3200年~2750年頃)以降のものを中心とする積石塚(cairn)が、少なくとも246基確認された。その中には、石器集中を伴うものもあった。
さらに、低位段丘面上に立地するアル=ハーシ(ARS01)遺跡において、青銅器時代・鉄器時代・イスラーム時代の土器片が散布する地点を発見した。地点内で4か所を選び、1mm・2mm・4mm目の標準ふるいを用いて土壌粒度検査を実施した結果、土器片は流水によって運ばれてきたものではなく、イスラーム時代の耕地の下に青銅器時代の集落址が埋もれている可能性が示唆された。GPSアンテナ付きフィールドGIS端末を用いて地表に露出している石列のマッピングを実施したところ、遺跡は南北2km・東西1kmの広がりをもち、青銅器時代の円形基壇(tower)5基・円形墓2基と居住区、イスラーム時代の耕地・灌漑水路・水道橋・堤防・居住区・周壁を伴う集落遺跡の全体像が明らかになった(図1)。

参考文献
Armitage, S. J. Jasim, S. A., Marks, A. E., Parker, A. G., Usik, V. I.; Uerpmann, H.-P. 2011. The southern route ''Out of Africa'': evidence for an early expansion of modern humans into Arabia. Science 331: 453-456.
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© 2013 公益社団法人 日本地理学会
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