抄録
2011年3月の東電福島第一原発の事故により環境中に放出された放射性物質は東日本の広域に汚染をもたらした。3月15日の午後に北西向きに変わった風は大量の放射性物質を阿武隈山地に運び、春の雪ともに高濃度に汚染された地域では人の暮らしが失われた。事故から2年以上が経過し、避難指示区域の再編が進んでいるところであるが、現実問題として放射能との戦いは長期戦に入らざるを得ない。
千葉大学では震災以前から農村インターンシップ事業を通して交流のあった福島県伊達郡川俣町山木屋地区(計画的避難区域)において総合大学としての特徴を活かした包括的な研究・支援活動を実施している。その取り組みは、定期的な放射能モニタリングに加えて無人航空機を活用した山林の放射能モニタリング、林縁部法面における放射性物質移行・侵食防止実験、福島県産農産物の価格や需要を回復するための仕組み作り、農業再開時を見据えた新しい作物の選定、などの多彩な活動が含まれる。これらの活動は帰還と復興という“目的の達成を共有”した地域と大学との包括的な協働作業として発展しつつある。
川俣町では7月に山木屋地区の政府再編案の受け入れを決めたことにより、政府は避難者の帰還を促す取り組みを進めることになっている。しかし、現状では除染は田畑、道路と居住区域から20mの範囲に限られている。山村における農の営みは里山における水循環、物質循環に依存しており、放射能対策は里山流域を単位としなければならない。さらに、里においても今後数十年は事故以前のバックグランドより高い空間線量率の元で暮らさなければならない現実から目を背けるわけにはいかない。東京電力の原子力発電所が引き起こした災禍に対して、受益者である首都圏は受苦者である福島との関係性を認めなければならない。
地理学は多様性、関係性を空間と時間のフレームワークの中に位置づける学問である。人の“世界”を拡張することにより分断を修復する機能を持っている。この機能に基づき、故郷で暮らし続けるための放射能との折り合いの仕方を地域と一緒に考え、人の諒解を醸成するために、地理学は行動しなければならない。3.11以降明らかになった様々な分断の多くは“自分とは関係のない国”が、“自分とは関係のない困っている方々”を救ってくれるはずだ、という思い込みから発している。関係性の探究を使命の一つとする地理学は分断された関係性の修復のために行動しなければならない。