抄録
I はじめに
利尻岳にはエゾマツやトドマツによって構成される自然度の高い常緑針葉樹林が分布する.利尻岳の植生に関する既存の研究では,高山帯の植物相に関するものが多く,中腹から山麓を占める森林植生の調査はあまり行われていない(春木ほか 2004).
利尻岳の常緑針葉樹林は,北東アジアをはじめ,北米・ヨーロッパの北部やシベリア西部の低地にも広く分布する亜寒帯針葉樹林(北方林)の南限に位置し,北海道の針広混交林との境界域にあたる.一般に,植生の境界域は気候変化に対して敏感に応答し,変化することが知られる.したがって,利尻岳の常緑針葉樹林の構造やその動態を明らかにすることは,今後の気候変化による北半球の亜寒帯針葉樹林への影響を明らかにする上で意義が大きい.
利尻岳の常緑針葉樹林は,低標高から標高500m付近の森林限界まで分布し,明瞭な垂直分布がみられる.そこで本研究では,今後の気候変化による亜寒帯針葉樹林への影響を明らかにするための基礎資料として,利尻岳の森林植生の垂直分布とその構造を明らかにすることを目的とした.
II 調査地と方法
調査地は利尻岳の西向き斜面に位置する沓形コース登山道周辺である.本研究では,利尻火山から約4万年前に噴出した沓形溶岩および種富溶岩の上に成立した森林植生を調査対象とした.
調査対象とした森林内の標高150−450mの範囲内に,20×20m(0.04ha)の方形区を標高50m間隔で計14カ所設置した(250−350mの範囲には各標高に複数の方形区を設置した).方形区では,胸高直径が1cm以上となる樹木を対象に毎木調査を行い,樹種,胸高周囲長,樹高などを記載した.
III 結果と考察
調査地には,エゾマツやトドマツなどの常緑針葉樹が3種とダケカンバやナナカマドなどの落葉広葉樹が15種出現した.
図1には常緑針葉樹(エゾマツ・トドマツ)とダケカンバの胸高断面積割合を標高別に示した.標高150mから350mまで,常緑針葉樹が胸高断面積合計の約9割を占めていた.森林全体の胸高断面積合計は60−70㎡/haで,利尻岳の山麓から中腹にかけて分布する常緑針葉樹林は,その種組成や構造から北海道の山岳域やサハリン南部の低地にみられるエゾマツ−トドマツ林(Kojima 1991,沖津1996)と同一の植生であると考えられた.
常緑針葉樹の優占度は,標高350−400mを境に急激に減少し,標高400m以上ではダケカンバが優占する落葉広葉樹林に移行した.これは,標高に沿った気温低下のため,常緑針葉樹の生長が抑制され(沖津 1999),代わってダケカンバの優占度が高くなったためと考えられた.
種富溶岩上では標高300m以下であるにもかかわらず,ダケカンバが優占する落葉広葉樹林が成立する地点があった.林冠を構成するダケカンバの直径階分布が一山型であったことから,このダケカンバ優占林は過去に生じた大規模な撹乱により成立したものと考えられた.
本研究では,利尻岳においてエゾマツ−トドマツ林からダケカンバ林へと移行する森林植生の垂直分布を明らかにした.一方で,利尻岳には過去の撹乱に影響を受けて成立した林分もみられ,比較的安定した斜面においても,成立要因の差異を背景とした複雑な植生分布が観察された.気候変化による植生変化を評価する際には,気候条件と対応した植生分布を判別するなど,森林植生の成立要因を適切に考慮する必要があろう.
<引用文献>
沖津 進 1996.サハリン南部に分布するエゾマツ−トドマツ林の植生地理学的位置づけと成立機構.植生学会誌 13: 25-35.
沖津 進 1999.北東アジアの北方林域における森林の分布と境界決定機構.植生学会誌 16: 83-97.
春木雅寛・藤原充志・松田 彊・夏目俊二・矢島 崇・並川寛司・新山 馨 2004.利尻島および礼文島における代表的な森林植生について.利尻研究 23: 57-91.
Kojima, S. 1991. Classification and ecological characterization of coniferous forest phyto- geocoenoses of Hokkaido, Japan. Vegetatio 96: 25-42.