抄録
1. はじめに人口・インフラが集中し,河川洪水氾濫や地震動に伴う液状化が発生しやすい沖積低地では,災害脆弱性を評価し,持続的な土地利用を実現することが重要な社会要請である.その課題に応えるには,地形発達の観点が不可欠である.著者らは,こうした問題意識のもと,関東平野の主要な沖積低地である荒川・妻沼低地と中川・渡良瀬低地(図1)を対象として地形発達の比較検討を行ってきた(Ishihara et al.,2012; 石原,2012MS; 石原ほか,2012など).本発表では,上記の2つの低地を対象として,低地とその基底地形の幅に着目し,共通点と相違点を発達史地形学的に明らかにするとともに,その原因について検討する.沖積層最上部層からなるデルタおよび氾濫原に被覆された基底地形の形成史の違いは,沖積低地の災害脆弱性評価の上でも重要である.2. 方法 約2,000本のボーリング柱状図資料と荒川低地で掘削された8本のオールコア試料の解析をもとに,既存研究を参照しつつ,沖積層基底地形を三次元的に復元した.埋没段丘面や埋没谷底面,埋没波食面の分布を明らかにして,それらの地形面幅を計測した.3. 結果と考察 両低地の幅を比較すると,荒川低地は約5-6 kmの幅で一定であるのに対し,中川低地の幅は下流へ向かって約5 kmから13 kmへラッパ状に広がっている(図1). 両低地の基底地形は,最終氷期の海面低下期に形成された埋没段丘と埋没谷,および後氷期の海面上昇期から高海面期にかけて形成された埋没波食台からなる.埋没谷の幅はいずれも2 km前後で共通しているが,妻沼低地のみ約4 kmと幅が広い.埋没段丘の幅は荒川低地で約4-5 km,中川・渡良瀬低地では約1-2 kmである.妻沼低地は埋没段丘の分布が不明瞭である.埋没波食台に関しては,荒川低地では河口から約20-40 kmの大宮台地側にわずかに分布するのみで(Matsuda, 1974),武蔵野台地側ではほとんど認められない(安藤・渡辺, 1996).中川低地では,両側の台地に沿ってほぼ全域に埋没波食台が分布し,下流ほど幅が広い. 海面低下期においては,両低地とも海面低下に伴って下刻が進行し,横断面形・縦断面形の類似した埋没谷が形成された(石原ほか,2011).一方,埋没段丘の発達は深谷断層や関東造盆地運動の影響による地域差が著しい(石原ほか,2011).すなわち,相対的隆起域の荒川低地では段丘面の発達が促進された一方,その他の相対的沈降域では局所的基準面の低下により海面低下の影響が減衰したため,段丘面が発達しにくかったと考えられる.特に妻沼低地では段丘が分化せず,広い埋没谷がつくられた. 海面上昇期から高海面期の中川低地ではエスチュアリーが形成され,波食作用によって汀線位置が側方へ後退し,波食台が形成された.両側の台地がMIS5の砂泥層からなり,浸食を受けやすかったために波食作用が促進されたと考えられる.中川低地の基底地形は波食台の占める割合が大きく,特に下流ほど波食台が幅広くつくられた結果,低地がラッパ状に広がった.一方,荒川低地では上流からの活発な土砂供給によってエスチュアリーの拡大がくい止められたこと(Ishihara et al.,2012)や,武蔵野台地が礫質で浸食を受けにくいことにより,波食台が形成されなかったと考えられる.この結果,荒川低地は埋没谷・埋没段丘の形状を反映して細長く広がった.文献 安藤・渡辺 1996. 第四紀研究 35: 281-291. 石原 2012MS. 東京大学大学院新領域創成科学研究科博士論文, 101p. 石原ほか 2011. 第四紀学会講演要旨集 41: 130-131. 石原ほか 2012. 日本地理学会発表要旨集 81: 239. Ishiahra et al. 2012. Geomorphology 147: 49-60. Matsuda 1974. Geor.rep.Tokyo Metrop. Univ 9: 1-36. 中西ほか 2011. 地質調査研究報告62: 47-84. 田辺ほか 2008. 地質調査研究報告 59: 497-508.