日本地理学会発表要旨集
2013年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 606
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発表要旨
戦前日本における北方探検の学術的・社会的評価の変容-間宮林蔵を中心として-
*浮谷 安奈
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抄録

本稿の目的は、後世の人物によって書かれた間宮林蔵の文献を取り上げ、そこから戦前・戦中の社会や国民の思想に、江戸時代の探検家である間宮林蔵がどう利用されてきたかを考察することにある。間宮林蔵に関する研究として、史学の分野で行われるような間宮自身を扱う個人史的研究や、間宮が書いた資料を使い当時の北方地域の再現を試みた歴史地理学分野に関連する研究がある。間宮本人による探検の記録『東韃紀行』『北蝦夷図説』を分析し、現在の北海道やサハリンにおける当時の旅の再現を試みた実証研究は、盛んにおこなわれ蓄積も多い。本稿はそれらどこにも当てはまらない立場で間宮を取り上げる。実証研究の中でしか取り上げることがなかった間宮林蔵を、後世における人物評価の角度から分析する。人物評価というと、地理学では地理学史の分野に関連しているといえ、岡田(2011)で間宮を挙げているものの、彼の生涯や功績を述べたにすぎない。明治以降の文献に登場するイメージされた間宮が、政治的・歴史的背景の中でどのように評価されたのかをみることで、間宮の功績を含めた人物像が、いかに戦争という日本の歴史的ファクターの中で利用されたのかについて論じていきたい。第二次世界大戦期である1938年から45年にかけて日本で地政学が発展したため、戦前に焦点をしぼり、資料を収集した。戦前の地政学の影響を受け、形成された間宮のイメージを戦前・戦中の文献を取り上げ検討するため期間を限定した。戦前、戦後では大きく社会体制が変化するため、その影響が思想にも大きく表れると考え、本稿では戦前期の間宮林蔵に関する文献を取り上げ、戦前の北方探検に関する評価を探究する。また、戦争に加担したと否定的に捉えられた戦時期の地政学研究を間宮林蔵のイメージから、なぜ当時世間に影響を及ぼしたのか、なぜ支持されたのかを読み解くことは、地理学界の中でも価値あるものといえる。間宮林蔵を分析する資料として、当時の新聞、論説、教科書、図書を取り上げる。また、間宮が取り扱われる要因となる時代背景として、日露戦争、シベリア出兵、太平洋戦争の3つに区分した中で、どのように資料内に間宮が表現されているのかを読み取る。結果として、戦前・戦中の教科書や新聞、学者の論説、図書をとおして「間宮林蔵」という人物を利用し、国民に戦争への参加精神を植えつけるような表現がなされたといえる。今日に伝わるような、江戸時代に北海道やカラフトを探検した間宮の業績よりも、探検に挑む間宮の精神を強調するような内容になっている。そこには、当時、戦争に対する社会の意識、国家の状況が反映されており、ナショナリズムによって作り上げられた人物像が存在していた。時期別に間宮の記述された資料を取り上げたが、日露戦争期には間宮の探検自体を評価した記述が中心だったのに対し、太平洋戦争期になるにつれ探検家としての価値よりも日本のために功績を残したという間宮の精神面の部分がクローズアップされる。それは、戦争の性格のちがいに影響されると考えられ、太平洋戦争期に人々は間宮の英雄像を求め、戦争に挑む不屈の精神を形成するひとつの材料とした。間宮林蔵の評価は、明治以降のナショナリズムの高揚、周辺地域の領土獲得という野心の背景で高まっていったといえる。このように戦争時のナショナリズムの高揚によって利用された歴史的人物は、他にも存在していると考える。それらの人物を今の時点で列挙することはできないが、戦争というフィルターを通して、実際の業績とは違った側面を評価されたという事実が存在しているといえよう。

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