日本地理学会発表要旨集
2013年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 605
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発表要旨
近代の産業集積における共同体的関係と社会的制度の相互関係
1919-1940年の大阪における材木業同業者町を事例に
*網島 聖
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抄録
近年の制度に注目する経済地理学研究では,産業集積の内部における共同体的な調整の様式と,より広域な透明性を帯びた社会的制度による調整の様式が相互に対立するものではなく,補い合いながら中長期の経済成長を実現する点が注目されている.こうした視点は,社会的制度が整備されていく近代の歴史的事例を検証することも求めている.近代日本を対象とする経済史研究では,同業組合等の共同体的側面を持って生まれた組織について,同時期に整備されつつあった法規や行政の役割との関係を軸に検証が進められてきた.同業組合等に注目した研究は歴史地理学でも行われているが,産業集積を事例に上述の観点から検証した研究は十分展開されていない.発表者は近代の同業者町を歴史的な産業集積と位置づけて検証してきたが,専ら社会的制度の関わりが強力な事例のみを取上げてきた.本発表では逆に,こうした社会的制度の影響力が弱かった同業者町がどのような状況になったかを分析する.具体的には,近代において地域差が残り,統一的な国内市場が形成されなかったとされる,材木業を取上げる.大阪の材木業同業者町は、近世の代表的同業者町と目されながら,近代以降は移転,分裂を経験しており,業者間の共同体的関係と行政等の関与との相互関係を,集積の維持や発展に注目して考察する.明治期大阪の材木流通では,近世の株仲間に出自をもつ業者が中心となった.地方産地から荷受けされた材木は,商品を陳列する市浜をもつ市売問屋によってセリ売りにかけられ,市立仲買人に引取られて需要家へ販売される経路と,市売の相場に従って地方産地と直接取引を行う附売問屋から需要家へ販売される経路があったが,材木流通の大部分を前者が担っていた.その後,日露戦争や第一次世界大戦期には,軍需の増大と造船熱の高まりによって,大阪の材木業は飛躍的に発展し,附売問屋や新興仲買商などからなる新興勢力の台頭につながった.近世以来の大阪の材木業同業者町は,長堀および立売堀の両岸に形成されていた.長堀北岸の材木業者は,1904(明治37)に市内電車の布設のため,長堀南岸と境川運河両岸への移転を余儀なくされた.境川周辺での新たな集積には数多くの新規業者の参入がみられ,機械挽きなど新技術の導入もあって繁栄したが,第一次世界大戦による木材需要の高まりにより,境川では狭隘となり,1920(大正9)年,大正区千島への移転が行われた.一方,長堀周辺の集積も旧来からの市売問屋の拠点として繁栄を維持した.大阪府や市は都市計画の観点から,長堀の市場も千島へ移転統合するよう要望したが,千島と長堀に新旧の市場とその周辺の同業者集積が並存し続けることになった.長堀市場を存続させたのは,長堀市場への愛着と大阪市中心部に近い立地故の利益関係をもつ,旧勢力である市売問屋による府市両当局への反対運動と,ロビー活動であった.旧勢力は新興業者の市売りへの参入を強硬に拒み,長堀市場を温存して千島市場を有名無実化しようとするに及び,新興業者側と旧勢力の対立は決定的となり,対立する2つの市場とその周辺の集積が併存していくこととなった.本発表により得られた知見は,フォーマルで透明性の高いとされる社会制度も,その決定に際しては政治的な要素の影響を無視し得ないことを示すものといえよう.
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© 2013 公益社団法人 日本地理学会
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