抄録
1. はじめに日本の中山間地域では、地域の自然資源を活用し、地域の特産品として販売する試みが盛んに行われている。トチノキ(Aesculus turbinata)の果実であるトチノミ(栃の実)を餅米と混ぜて餅に加工したトチモチ(栃餅)もそうした事例の一つである。トチモチは縄文時代から日本各地で主食や救荒食として用いられてきたが、昭和30年頃から全国的に利用が衰退する傾向がみられる。その一方で、朝市などでの販売を通じ、特産品として見直される動きが認められる。しかし、トチノキの生育する中山間地域では、過疎化や高齢化などの進行にともない、人々が山にトチノミを採集しに行くことが困難になりつつあると考えられる。そのような状況の中で、自然資源の利用がいかに変化し、どのような経路で原料が入手され、特産品づくりが支えられているのであろうか?本研究では、トチモチが特産品として販売されている滋賀県高島市朽木地域を事例に、トチノミの入手経路を検討し、特産品であるトチ餅づくりを支える資源利用ネットワークの姿を明らかにすることを目的とする。2. 方法滋賀県高島市朽木地域(旧朽木村)において、2004年~2005年、2011年、2012年に調査を実施した。初めに、朽木地域の広域的な傾向を把握するため、朽木の22集落のうち、9集落11世帯において聞き取り調査を実施し、トチモチやトチノミ利用の変遷について把握した。さらに、栃餅保存会という組合が存在する雲洞谷(うとたに)集落を中心に、保存会メンバーを対象にトチノミの入手回数や入手先に関する聞き取りを実施した。3. 結果と考察(1) 昭和30年代までのトチノミ利用:昭和30年頃まで、朽木の人々はトチノミが熟す秋口に、集落から数km離れた谷に入り、トチノキの下でトチノミを採集していた。採集されたトチノミは乾燥させて保存し、トチモチを作る際に必要分を灰汁抜きして用いられた。しかし、朽木地域の内部でも、トチノキの生育場所には地域的な差がみられる。トチノキの育たない集落の住民は、トチノキが多い地域の知り合いを訪ね、ダイズなどとトチノミとの物々交換を行い、トチノミを入手していた。(2) トチモチの特産品化とトチノミ採集の衰退:1980年代から、トチモチを復活させることを目的とした栃餅保存会が結成され、トチモチづくりが販売という新たな目的のために行われるようになった。栃餅保存会の結成当初、参加世帯はトチノミを各自で採集していた。しかし、高齢化の進行や獣害の深刻化にともない、自力で実を調達することが困難となり、採集を行う世帯はほとんどなくなっていた。(3) トチノミの入手経路:栃餅保存会が結成して数年がたった後、朽木以外の地域からトチノミを持ち込む人が増加した。そうした人々のなかには、朝市の顧客として栃餅生産者と知り合い、地域外からトチノミを入手し販売しにくる者、山登りなどで偶然トチノミを拾い、それを持ち込む者、毎年定期的にトチノミを採集し、販売をしにくる業者、行商として昔からこの地域に食料を売りに来ている人で、秋の時期にトチノミを他の商品と共に販売する、などの複数の経路が確認された。