抄録
ご存知のとおり、当ジオパークは国内のジオパーク地域で初めて「条件付再認定(俗に言うところの「イエローカード」)」の判定が下された地域である。当ジオパークは、そのネーミングからも理解できるように「恐竜、恐竜化石」をメインとするジオパークであるが、これまで、明確なテーマ設定や地域資源の整理、地域全体の合意形成も半ばにジオパークの活動が進められていたのは事実であり、反省すべき点である。
ジオパークを表す言葉で「大地と人の共存」、「大地と人の物語」などといったものを目にする。恐竜や恐竜化石は、ジオパークの中でヒトの暮らしぶりに一番遠い所に位置される。「恐竜、恐竜化石」のみを追及することは、今現在国内で行われているジオパークとは違った方向へ行ってしまうのではないのか?ここ数年、恐竜化石だけではジオパークに成り得ないと説いてきたが、当初印象付けられてしまった「ジオパーク=恐竜、恐竜化石」というイメージが払拭できないまま、勝山のジオパークは進められてしまったのである。それらの教訓や反省をもとに、当地域の地域性やジオストーリーについて報告したい。
勝山の地域性、独自性すなわち地域アイデンティティは「恐竜、恐竜化石」に限られるものではなく、そのほか豊かな自然、旧石器・縄文時代から先人が築いてきた歴史文化、産業などのジオ資源からも導かれ形成されていくものである。我々が考えるに、勝山における「恐竜、恐竜化石」は、本格的な恐竜化石発掘調査研究がスタート前後に、急造に祀り上げられたシンボリックな「地域性」なのではないだろうか。その証拠に、ジオパークに関係するようになってから解ったことだが、多くの人たちはこの地域から発掘発見された恐竜化石の価値を理解していないことが多い。「恐竜化石発掘量日本一!?」という文言がコマーシャル的によく使用されているが、数的な価値では、地域性、地域らしさは確保・形成されていかないのである。日本一の高さを誇る成層火山もいずれは崩れる運命にあるように、数的な価値から生まれる地域の誇りは不変的なものではないと言える。地域資源の価値を学び、理解し、保存しようというところから生まれる価値観や価値共有こそが地域アイデンティティの形成だということは言うまでもなく、ジオパークは、地域全体で地域アイデンティティ「その土地らしさ(地域性)」を確認、確立を行いながら行なっていく場所でなければならないと考える。
確かに「恐竜、恐竜化石」は万人に受けるキラーコンテンツであり、これまでは当地域ではそれに依存するあまりにジオパークの取り組みが進まなかったであろう。それらのコンテンツは、「ジオパーク」や「地球科学」への誘い、導入部としてはうってつけのものであり、当地域はそれを活かしきれていなかったのである。
勝山のジオ資源をつなげるストーリーテーラーは、「恐竜や恐竜化石」である。変動する大地の中で、恐竜や恐竜化石が地上そして地中で見てきた勝山の大地の成り立ち、自然現象、勝山の人々の生きざま等をつなげ、訪れた人に伝え、楽しみ学んでもらうことこそが、当地域の地域性や特性を活かしたジオツーリズムでないかと考えている。
以上のような考えの中で、現在、テーマ「恐竜はどこにいたのか?大地が動き、大陸から勝山へ」のもと、様々な面においてジオパークの再構築を急いでいるところである。
恐竜が大陸で生息していたころの恐竜時代前後からそれらの恐竜の化石が当市北谷町杉山で発見されるまでの間に生じた変動する大地の中でのジオ・イベントやそれらにより形成された豊かな生態系、そして双方に関連したこの地に暮す者が築いてきた歴史文化や産業などを理解してもらうところが当地域のジオパークなのである。
ここでは、勝山ジオパークを実際に歩いてみて、そこから感じ取られる疑問の中でのジオストーリー2例を紹介したい。
・「勝山にはなぜ坂道が多いのか?」
・「里山に突如現れる巨大な岩塊はどこからきたのか?」
疑問符の中から生まれるものこそがジオストーリーであり、また、当地域のジオパークのテーマもまた疑問符から始まっているのもこのためである。