日本地理学会発表要旨集
2014年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: S0205
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発表要旨
日本列島 東西文化が出会うまち - 糸魚川ジオパークの魅力 -
*渡辺 成剛
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抄録
東西文化が出会うまち
「親知らず 子はこの浦の波枕 越路の磯の泡と消えゆく」 平安時代の末期、源平合戦に敗れた平頼盛(たいらのよりもり)は越後に逃れた。この歌は、夫人が夫を追って親不知(おやしらず)の断崖の下を通過中、懐のわが子を波にさらわれ、悲しみの中で詠まれた歌と言われている。これが親不知の名前の起こりの一説である。 日本アルプスの北端が急激に日本海に落ち込む親不知は、100m近い断崖が連なる北陸街道随一の難所であった。明治時代に入って断崖の中腹に道路がつくられるまで、断崖と波打ち際のわずかな砂利浜が北陸街道であり、波浪時には命がけの通行であったという。 親不知が地形的な障壁となって、東と西からの文化の伝播がこのあたりでぶつかったため、東西日本の文化の接点が糸魚川地方にいくつかある。
アクセントなど東西言語の境界、お正月料理の年取り魚(鮭:東、鰤(ぶり):西)、家庭用電気の周波数(50ヘルツ:東、60ヘルツ:西)、などである。 このように、文化や歴史が生じた背景を考えると、根本には大地の成り立ちが横たわっていることが多い。糸魚川は、地質や地形など大地の多様性が際立っている。大地は、歴史や文化、人々の生活にさえ、大きな影響を与えてきた。大地と密接に関わった人間の営みが糸魚川で特徴的に現れている。

糸魚川の大地
糸魚川は、フォッサマグナ(地質の溝状構造)の西縁断層である糸魚川-静岡構造線(以下、糸静線(いとしずせん))の陸上の起点にあたり、ヒスイの産地としても有名である。糸魚川を南北に分断する糸静線の東側が地質学的な東北日本であり、西側が西南日本である。糸魚川は地質学的にも東西の接点である。

ジオパークの魅力と可能性
ジオパークは、考古、歴史、食からでも、大地の物語に触れることができ、大地へ導く扉の役割を果たしている。糸魚川市では子ども一貫教育方針を策定し、子どもの発達段階に応じてジオパークを活用した教育を行っている。このことが、ジオパーク学習副読本の作成、ジオ給食の実施など、教育にも結びついている。ジオパークにある素材の切り口をどうするのか、素材と素材の関係をどう結び付けて示していくのかを考え、ジオパークの間口を広げることが、多くの人々をジオパークに惹きつけることになるだろう。
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© 2014 公益社団法人 日本地理学会
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