抄録
1. はじめに
これまで障害の地理学では,社会的に生産される「不可能にさせる空間」の中で障害者の生活が著しく制約されていることが明らかにされてきたが,近年では,様々な技術を利用して障害者が主体的に「可能にする空間」を創り出していることが指摘されている(Chouinard et al. 2010).
本研究では,ボランタリー組織による地図の協同作成活動を事例に,参加型GIS(PGIS)やボランタリーな地理情報(VGI)によって視覚障害者の外出移動を「可能にする空間」がいかにして創り出されているかを検討する.対象事例は認定NPO法人ことばの道案内(以下,「ことばの道案内」)である.当該団体は「ことばの地図」という独自の地図を作成してWeb上で公開することを通じて視覚障害者の自立促進を図っており,全盲の視覚障害者を代表に東京都北区を拠点として活動している.なお本研究では「可能にする空間」を,熊谷(2013)の「依存先の分散としての自立」という考えを基に,「心身の障害を負った人々が多数の人やモノに十分に頼りながら様々な行動の可能性を見出せる空間」と定義する.
2. 地理空間情報のデジタル化と視覚障害者
施設内部の移動支援は受けやすくなってきている一方,施設間の公道は依然として人やモノに頼りづらい空間である.外出先までのアクセス情報を事前に入手できるか否かは視覚障害者にとって重要な問題であり,近年ではインターネットによる情報提供への期待が高まっている.そこで,現在の東京都内の市区町庁舎ホームページ(HP)に掲載されている当該庁舎までのアクセス情報を発表者が調べたところ,視覚障害者が利用可能な情報はほとんど存在しないことが明らかとなった.多くのHPでは庁舎の位置情報がデジタル地図を中心としたビジュアルな地図のみで示されており,テキスト形式の情報も鉄道・バスの路線名や最寄駅・バス停からの徒歩移動時間の掲載にとどまる.地理空間情報のデジタル化が進展し,晴眼者がいつでもどこでも地図を使用できるようになってきている一方で,そうした社会の主流から視覚障害者は排除されている.
3. ボランタリー組織によるVGI実践
「ことばの道案内」が提供する「ことばの地図」は駅・バス停から目的地施設までの空間を道案内するようにテキスト形式で書かれており,PCや携帯電話の音声化機能によって利用できる.「ことばの地図」の書き方には10年以上かけて作られてきたルールがある.長年の活動を通じて見出された重要なルールとして,「<歩道>,<構内>といったロケーションの変化に関する情報を必ず入れる」というものがある.一定の広さを持った空間の名称を入れることで,どのような空間にいるかを把握し,その後の行動を自ら選択,判断しやすいようにされている.また,道行く人に現在地について尋ねやすくするために通り,交差点,店等の名称や交番の位置が書かれている.触地図案内板,盲人用押しボタン,シグナルエイド等既に設置されている様々な装置に関する情報も書かれており,それらを利用できるルートが選択されている.先行研究では身体感覚を意識した道案内が数多く提案されてきたが,「ことばの地図」ではそれはもちろんのこと,周囲の人やモノが持つ機能を十分に生かした移動が想定されている.こうしたローカルな情報は複数の視覚障害者と晴眼者が協同で何度も現地調査を行うことで発見され,その後の活動で生かされている.
また,「ことばの道案内」は活動の継続と普及の点から行政との連携を重視している.従来の行政主導の支援策では,上記のようなローカルな情報を反映するのは難しいと考え,当事者による地図作りの必要性を提案している.そして,自前のHPだけでなく行政のHPにも「ことばの地図」を掲載してもらっている.また,「ことばの地図」の提案をきっかけとして,点字ブロック等の既存の支援ツールのメンテナンスも強く呼びかけている.
4. VGIによる「可能にする空間」の創出
「ことばの道案内」は「ことばの地図」を作成,提供することで,視覚障害者のメンタルマップの構築を支援するだけでなく,人やモノと結びついた移動を促している.そこで求められているのは,現行の福祉施策にしばしば見られるハイテク技術の新規開発とそれに依存した外出移動ではなく,一般的な技術を媒介にして周囲の人や既存のモノを結びつけながら依存先を分散させ,多様な行動を選択できる空間を創り出すことである.そして,そうした「可能にする空間」の創出におけるPGISやVGIの役割は,依存先となる既存資源の発見,再評価,存在の周知であると考えられる.