抄録
モビリティ・マネジメント(以下,MM)とは,土木工学系を中心として,展開が試みられてきた,ひとつのパッケージ・プログラムである.従来の交通システムにおける,需要誘導のマネジメント手法としては,道路を建設したり,鉄道を開業させたりする,いわば供給側の調整を行うことによるものが中心であるが,MMにおいては,需要側,すなわち利用者や住民といったヒトの移動行動を変容させることで,適切な需給バランスを保とうとするものである.とくに,クルマ中心のライフスタイルを取る人々に対し,公共交通利用へとシフトさせるための,様々な動機づけ,情報提供を行い,場合によっては直接的なコミュニケーションを通して,意識の変容を促すことを目指す(藤井・谷口,2008).このなかで,公共交通サービスについての適切な情報提供を行うことは,非常に重要な意味を持つ(井上,2013).MMが主眼とする対象は,日常的にクルマ中心のライフスタイルを送る人々であり,公共交通に接する機会が限られる層である.つまり,公共交通についての情報を持たないことが前提であり,その利便性はさることながら,運行ルートや運賃の支払い方法などをはじめとした乗り方の情報を手厚く提供することも重要である.さらに,MMを実証的に行う地域の多くは,バス交通が公共交通の中心となっていることが少なくないため,鉄軌道などのわかりやすいモードと異なり,路線,運賃,時刻,乗り方などの細かな情報が,必要となる.乗合バスは,それらの情報が,大変わかりにくく,日常的に利用しない人々にとっては,バスを活用することが難しい.一方で,日本のこれまでの乗合バス事業における情報提供の現状について見てみると,必ずしも,これが十分に行われてきたとは言い難い.日本の公共交通サービスは,独立採算の営利事業として展開されてきており,社会の共通資本,あるいは街の装置として認識され,公共交通が公的資本によって維持される欧州などの例とは大きく異なる.つまり,日本の公共交通サービスは,商店で販売される商品と同じような扱いであり,路線図や時刻表などの情報提供ツールは,スーパーマーケットの広告やチラシをほぼ同義のものであると考えられる(今井,2013).そのような認識もあって,日本におけるこれらの情報は,事業者が作成,配布するもの,という慣習が根強かったが,これには大きな地域差や,方法の差異が見られ,なかには旅客向けの情報提供をほとんど行ってこなかった例も散見される. MMの展開,とくにバス交通についての情報提供を行ううえで,どこに行くのか,どこを通っているのかを明示した路線図,すなわちバスマップの存在は不可欠であり,バスマップの作成,配布にあたっては,事業者の枠組みを超えたうごきが見られている.近年,バスサービスを提供する事業者や行政などではなく,利用者としての市民が中心となって,バスマップを作成する例が,全国的に起こっている.事業者が運行のプロとして,供給側の視点で作成されたものではなく,利用者の視点で,使い勝手の良いものを意識して作成されるため,情報提供ツールとしての評価は高い(鈴木,2013).乗合バスは,利用の初心者と使い慣れた人の差が激しく,事業者や頻繁にバスを利用する人々にとって,あたりまえのことであっても,初めてバスを利用する人にとっては,全くわからないことと成り得る.そのギャップを埋め,利用促進を図るためにも,適切な情報を得ることができるバスマップの存在は必須である.バスマップは,MMにおける情報提供ツールとして注目されるが,より広範かつ目に付きやすい情報提供として,バス停に掲示される路線図や時刻表,あるいはターミナルにおける乗場表示や路線一覧の表示方法なども,広義のMMと考えることもできる.これらは,地域や事業者によって,あるいはターミナルの設置者,管理者などの違いによって,十分な情報が提供されないことが生じる.利用しやすい情報にカスタマイズすることも,また求められている.また,バスマップを作成する市民や市民団体が中心となって,全国的な活動のネットワークが形成されており,バスマップサミットとして,情報共有や発信を行っている(全国バスマップサミット実行委員会編,2010).一方で,地域と地域を結び付ける,交通という極めて地理的な現象でありながら,実体的な交通現象についての研究が全般的に限られ,さらに,地理学が重視する地図というツールに,それを示したものがバスマップでありながら,この分野に対する地理学の興味関心は,これまで,あまりにも低かったと言わざるを得ない.情報の示し方など様々な面で,地理学からのアプローチが可能であり,より充実した検討が望まれる.