日本地理学会発表要旨集
2014年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 815
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発表要旨
水需要増加に対応した水道事業広域化
―高度経済成長期以降の埼玉県・神奈川県を事例として―
*山田 彩未
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抄録
 水道は,高度経済成長期の人口増加と都市化の進展による水需要増加に対応して整備が進んだ.特に水需要増加が激しかった大都市圏の水道事業運営主体は水源確保のために河川開発へ参入するが,基本的に水道整備の主体とされた市町村には水源開発費の負担に耐え切れないものも多く,国は水源確保の広域化によって問題を解決する制度を整備した.
 水源確保の広域化に関しては,開発した水を利用する水道事業の視点の研究は乏しい.そこで本研究では,高度経済成長期以降特に人口集中が進んだ首都圏の埼玉県と神奈川県における水道事業広域化を取り上げて地域間の差異を考察することで,高度経済成長期以後に進展した水道事業広域化について検討する.
 埼玉県では高度経済成長期には都心部に近接した県東南部を中心に人口が増加し,利根川・荒川の開発によって水源を確保した.両河川には管理主体である国や先行して開発に参入した東京都など様々な関係主体が存在した.埼玉県で水道整備が本格化したのは戦後であり,運営基盤確立の途上であった水道事業は,多くの関係主体が存在する河川水利に単独で参入することは難しく,市町村では果たせない役割を補うために,県が両河川を水源に用水供給事業(利用者への配水をおこなわない水道事業)を運営することで対処した.
 神奈川県では,横浜市,川崎市,横須賀市,神奈川県営水道によって戦前から大規模に水道が整備され,国が広域化による水源確保の制度を整備する以前に相模川の大規模開発を実施した.その後,神奈川県内広域水道企業団が設立され,酒匂川からの取水は企業団が取りまとることとなった.
 また,神奈川県営水道は全国でも珍しい県営の末端給水事業(利用者への配水をおこなう水道事業)である.神奈川県営水道は戦前に平塚市,藤沢市など湘南地域の水不足解消のために設立され,その後軍関連施設が立地した相模原市でも給水を開始した.戦後に実施した第4次拡張事業で人口急増が開始しつつあった県中部を給水域に編入し,その後も小規模拡大を重ね,現在は県人口の30.7%に給水している.
 両県の事業展開の差異について整理すると,埼玉県では河川からの取水が埼玉県営水道にほぼ一元化される一方で,神奈川県では個別の市町村を含む複数主体が河川での取水に参入する.また,埼玉県は基本的に市町村が末端給水事業を運営するが,神奈川県では神奈川県営水道が市町村を超える領域で水道事業を運営してきた.このように,水源確保に関わる主体数と,末端給水事業の広域化の進展に差異がある.
 水源確保に関わる主体数については,戦前の水道整備と水源の環境の2つの面から考察する.神奈川県では戦前から産業の発展や軍事的事情によって,河川の大規模開発が可能な運営基盤を確立していた.一方,埼玉県内の水道事業は高度経済成長期には河川開発参入が可能な運営基盤を得ていなかったと推察される.水源の環境については,神奈川県は県内の相模川・酒匂川から需要を満たす水源を確保できたため,横浜市などの県内の各主体は,県内で調整をおこなうのみで用水を確保することができるため,個々の水道事業が河川の大規模開発に参入できたと考えられる.一方,埼玉県においては,国などの関係主体が存在する利根川・荒川からの取水にあたっては国や他都県と対峙する必要があり,これは市町村には困難であったため,河川取水が埼玉県営水道へ一元化されたと考えられる.
 末端給水事業の広域化については,全国的に見ても特殊な神奈川県のみ考察する.県中部地域は,高度経済成長期以降に人口が急増し,それに対応した水道整備は困難であった.ここで湘南地域が類似の困難を県営水道による水道事業運営で解決した前例が存在したため,前例に則って県営水道への編入が解決策として提示されたと推察できる.
 水道水源として河川の水資源を大規模に開発,運用する仕組みを構築する過程では,高度経済成長期の問題を市町村が処理する限界が明らかになった.その後も両県の人口増加は続くが,高度経済成長期に構築した仕組みによって対応可能であった.市町村の限界を広域化で補う仕組みは上手く機能したと言え,本研究で明らかにした広域化進展の経緯は,他種の公共サービスにも示唆を与えるだろう.しかし,今後は人口減少が予想され,水需要はすでに微減傾向である.そのため,水需要増加への対応に主眼におく現在のあり方は,今後見直しが必要である.
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© 2014 公益社団法人 日本地理学会
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