日本地理学会発表要旨集
2014年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 509
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発表要旨
ラオス北部の中国国境地域における契約栽培
*横山 智インサイ パンサイ
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抄録

はじめに
ラオス北部における農林産物の契約栽培は、中国企業とのパラゴムノキに代表される。中国雲南省でパラゴムノキが試験的に開始されたが1948年であり、1956年から政府の農園で栽培が始まり、それ以降は中国政府の奨励でゴムの植林が西双版納州で急激に広がった。そして、1990年代の中国におけるゴムの需要増によって、ラオスでも植林が開始され、近年、急激に面積を拡大させている。しかし、ラオスの中国国境沿いでは、パラゴムノキに加えて、2000年以降からは乾季の水田裏作物の契約栽培が導入され、農民の生業と伝統的な土地利用が大きく変化している。
本発表では、中国国境域で生活する少数民族の農民が中国の影響を受けつつも、いかにその変化に対応しているのか、説明したい。特に2000年以降に導入された露地作物の契約栽培を取り上げ、地方行政と農民の対応を周辺という地理的要因に着目しつつ、契約栽培が進展した要因を検討する。

ラオス北部の中国国境における契約栽培の導入
研究対象地域は、図1に示すラオス北部ポンサーリー県ブンヌア郡である。そこでは、1990年代終盤からサトウキビの契約栽培が導入され始め、2000年代に入ると乾季水田裏作、そして2009年からは、山地部でのバナナやコーヒーの契約栽培が開始された。作物は、2国間の住民だけに開放されている、ローカル国境ゲートを利用して中国に輸出されている。

契約栽培の導入・進展の要因
国境の農民が中国の契約栽培を受け入れるに至ったもっとも大きな要因は、ポンサリー県のような冷涼な気候を有する地域では、水が得られても二期作が出来なかった点であろう。当然、国境の農民たちも、乾季の稲作はできなくても、小規模ながら、地元の市場向けの作物を栽培してきた。しかし、国境付近は、人口密度も低く大きな都市もないことから、市場が限られ、乾季水田裏作は小規模であった。そうした使われていない土地に目を付けたのが、中国雲南省の企業であった。 次に、国境の農民にとって言語の障壁が低かったことが契約栽培の拡大につながったことがあげられるだろう。研究対象地域の主要民民族は、ラオス側も中国側もタイ・ルー族である。国民国家という枠組みで考えると、両国では少数民族であるが、ラオス—中国国境沿いにおいては、比較的人口が多い民族であり、技術移転が比較的容易に行われた。
最後に、ローカル国境の弾力的な運営制度が契約栽培の進展に大きく寄与していることが明らかになった。ローカル国境は、県によって管理され、そこを通行するにはパスポートは必要としない。しかも、どの国境からどの作物を輸出するか、農林産物の輸出管理も県が担っているため、新たな作物が導入されても県の判断だけで迅速に対応することができる。研究対象地域の国境ゲートでは、1996年から開始されたサトウキビの契約栽培を皮切りに、2000年代に入り乾季農作物の輸出に次々と対応してきた。それに対して、国際国境ゲートは、中央政府が管理する国境なので、パスポートが必要となるだけでなく、関税手続きも面倒であり、近年は農林産物の輸出にはほとんど利用されていない。このような点から、県が管理することが認められたローカル国境の存在そのものが農林産物の契約栽培を進展させたと言える。

おわりに

契約栽培は、ラオスの国境の少数民族の生活を大きく変えた。しかし、中国側の需要をラオスの少数民族が受け入れざるを得なかったという状況で今に至っているわけではない。国境線が引かれた1900年から今に至るまでのおよそ100年間にわたり、国境が地理的に周辺と置かれてきたことで、契約栽培を受け入れるような素地が歴史的に醸成されてきたのである。これまでマイナスの要素と認識されてきた地理的な周辺性を、国境の少数民族はある意味逆手にとって、それを彼らなりに活用してきた結果として捉えることができよう。

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