日本地理学会発表要旨集
2015年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 319
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発表要旨
バスク人が生産する祝祭空間のトランスナショナリティ
アメリカ西部アイダホ州ボイジーのハイアルディの事例
*石井 久生
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抄録

バスク人は19世紀後半から1970年代にかけてアメリカ合衆国に移住し,主にアメリカ西部において羊飼いに従事した。その多くは,数年間就業して蓄財を果たした後に故地バスク地方へ戻るという還流的移民であった。しかしその一部はアメリカ西部の主要都市に残り,牧羊業やホテル業に参入した。ホテル業はバスク系羊飼いを主たる顧客としたが,アメリカ西部においてはその需要が高かった。そのためバスク系移民が集中するアメリカ西部諸都市には,19世紀末以降バスク系移民を対象とする「バスク・ホテル」が開業するようになった。バスク・ホテルが集中する諸都市では,定住者によりバスク人の組織化が進行した。バスク人の同人会組織である「バスク人会」は,移民の定住が進んだアメリカ西部各都市に1930年代頃から組織されるようになった。当初同人会は,会合の場所としてバスク・ホテルやそれに併設されたレストランを活用していたが,1940年頃から同人会固有の建造物を所有するようになった。それが「バスク・センター」である。その当時バスク・センターはバスク人が集住するアメリカ西部諸都市に建設された。そこに集うバスク人は,同族組織の連帯を強化するための諸活動を展開したが,そのひとつが祝祭である。
バスク人が主催する祝祭行事は,「ピクニック」と「バスク・フェスティバル」の2つに大別できる(図1)。ピクニックは屋外でバスク風の食事会,ダンス,スポーツ競技などに興じるものであるが,バスク人が移住するようになった初期のころから,バスク系羊飼いの間で最もポピュラーな行事であったようである。ピクニックで実践される祝祭のスタイルを継承し拡張されたのが,都市部のバスク・センターで開催されるようになったバスク・フェスティバルである。ピクニックがバスク系住民内で閉じた行事であるのに対し,バスク・フェスティバルは地域に開放された祝祭であるため,開催にはある程度以上のバスク系住民の存在が前提となる。そのためアメリカ西部でもバスク系住民の多いアイダホ州,カリフォルニア州,ネヴァダ州の諸都市にほぼ限定される。その歴史は比較的新しく,最も古いカリフォルニア州ベーカーズフィールドのものでも1970年頃からである。ちょうどバスク地方からの移民の流入が収束する時期と一致している点が興味深い。 
アイダホ州の州都ボイジーでは,1987年にJaialdiハイアルディと呼ばれる最初のバスク・フェスティバルが実施された。1990年以降は5年ごとに開催されており,現在では世界最大規模のバスク・フェスティバルとなっている。このメイン会場となる旧市街の一区画は,1980年代以降バスク関連施設が整備されるようになり,現在「バスク・ブロック」と呼ばれる。この祭典には故地バスク地方が深く関わっている点が興味深い。ちょうど1980年頃に自治を確立したバスク州は,海外在住のバスク人の支援を推進するようになったが,ボイジーのハイアルディに対しては舞踊家などの人材や文化的コンテンツを提供している。かつて羊飼いが移動することで形成されたトランスナショナルなネットワークは,ヒトの移動が途絶えた現在でもバスクに関わる情報が移動するネットワークとして残り,そのネットワークを介して双方の場所でバスクのナショナリティを強化する運動が進行している。ハイアルディが開催される場所は,バスクのトランスナショナリティが表象する貴重な社会空間であるともいえる。

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