抄録
本発表は、村落社会地理学的な関心から、明治末期の神社合祀を氏子圏の統合ととらえ、それが地域社会にどのような影響を与えたのか(与えなかったのか)を検討する。フィールドは、神社合祀が進展している三重県の中でも神社減少率の高い旧飯南郡の旧飯南町・飯高町(現・松阪市飯南・飯高地区)を対象とする。
飯南町は明治行政村が2、大字が7、飯高町は明治行政村が4、大字が25である。明治末期の神社合祀により、神社数は飯南町では38社から3社に、飯高町では55社から6社に減少した。神社と明治行政村との対応関係から、一村一社型(3村)と一村二社型(3村)の二つのパターンに分けられ、一村二社型は、大字群を単位として氏子圏が編制されている一村二社A型(2村)と大字を分断して氏子圏が編制されている一村二社B型(1村)に細分される。神社合祀が地域社会に影響を及ぼすと仮定すると、氏子圏と大字界に齟齬のある一村二社B型に変化が表れやすいと考え、当該の大字有間野(現・松阪市飯南町有間野)について詳細に検討する。
大字有間野は明治末期、3地区(字)に分かれており、2地区(栃川・神原)は同じ行政村内にある別大字の粥見神社氏子圏に組み込まれたが、1地区(有間野)は村社を合祀せず、従来の有間野神社氏子圏を維持した。
現在、栃川・神原は、粥見神社氏子として財政面の負担はしているが、意識が追いついていない。地理的に近接している有間野神社に対して親近感を持っているが、氏子に入ることができず、中途半端な状態におかれている。集落レベルの祭が行なわれているが、地域をまとめるイベントとしては力が弱い。一方で、有間野区自治会や住民協議会の存在によって、大字有間野としてのまとまりが強固であり、栃川・神原はその一員としての面が強い。地域のまとまりは大字を単位として存在しており、それと齟齬する氏子圏の統合は地域に影響を及ぼしえなかったと言える。むしろ逆に、大字としてのまとまりの強さが、氏子圏の不自然さを浮かび上がらせ、住民にストレスを生じさせている。
なお、本研究は、柳光の駒澤大学大学院人文科学研究科地理学専攻2013年度修士論文の一部に、小田が大幅な修正を加えたもので、詳細は柳光・小田(2015)として印刷予定である。