日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 119
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発表要旨
近世日本における「名所図会」資料の編纂動向
*長谷川 奨悟
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キーワード: 名所図会, 地誌, 近世, 歴史GIS
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抄録

近世における「名所図会」資料や地誌は、多くの大学附属図書館をはじめ、国立国会図書館や国立公文書館、各都道府県や市町村立図書館や資料館において、その地域の風土性や、場所や風景の過去の姿を知ることができる郷土資料として収集・公開が進められてきた。しかし、管見の限りでは、これらの資料の編纂動向とその特徴をめぐる議論は、三都のほか、奈良や伊勢など多くの地理的メディアが編纂された地域では検討がなされてきたものの、近世日本というスケールでの考察は、ほとんど試みられることはなかったと思われる。強いてあげるとすれば、戦前期の高木(1927、1930)の仕事に注目できるが、これは高木家の家蔵資料について、その書肆情報を旧国単位で編年したものであり、ここにとりあげられていない資料も多く認められるなど、これをもって近世名所地誌本の全体像をとらえることはできない。本発表では、蝦夷と琉球も含めた近世全体の編纂・刊行動向の全体像について考察することを目的としたい。〈BR〉2 考察方法 上記の問題に取り組むにあたって、以下のような手順で考察をおこなう。まず、現在最も体系化されていると判断できる高木(1927、1930)の成果を基盤としつつ、各機関の郷土資料目録を用いて地域の編纂動向の全体像をとらえる。そして、所蔵資料や公開されたデジタルデータを確認し、その書誌情報や、取りあげられる内容を検討し、旧国域を単位とする近世名所地誌本のデータベースの作成を進めた。ここでは、高木の地誌目録にみえる「紀行文」や「歌集」などは対象から外した。また、四国巡礼や西国巡礼、秋里籬島選『東海道名所図会』(1797年刊)のような国単位を超える広域な地域で編纂されたものは、今回のデータベースには反映させていない。このように進めていくと、近世日本において編纂された地誌や名所案内記(名所図会)は、現在把握できているだけでも計678点ほどになる。次いで、これらを(1)17世紀末まで、(2)18世紀前半、(3)18世紀後半、(4)19世紀初めから幕末まで、(5)編纂時期不明という5つの時期に区分した考察をおこなうことで、それぞれの地域における大まかな編纂動向を把握できるものと考える。〈BR〉3 考察 上記のように近世日本における「名所図会」資料や、地誌の編纂・刊行動向を旧国単位で整理すると、武蔵国(江戸)の計89点、山城国(京)の計50点、摂津国(大坂)の計49点と上位は三都が占める。次いで、陸奧国(仙台・松島)の計40点、大和国(奈良)の計29点、尾張国(名古屋)の計29点と続く。例えば、厳島のある安芸国では計17点となる。これらについて、編纂時期不明をのぞく4つの時期ごとに分析すると、19世紀には、これまで編纂が無かった安房国で計2点、讃岐国で計7点など、新たに計6ヶ国において確認できるようになり、この時点で大隅国を除く全国において、少なくとも1点以上の新規編纂を確認できるようになる。 ただし、大隅国内の場合、鹿児島藩領について編纂するもののなかに立項・叙述を確認できる。これが編纂される場所は、藩政の中心地である鹿児島であるため、大隅に関する記事も旧国単位でみれば、薩摩国において編纂されたものに含まれる。このような、領国支配の中心と周辺部、ないし支藩領域との関係性は、周防国と長門国などにおいてみられ、大藩の城下町における近世地誌編纂の実践をめぐる特徴的な傾向の一つといえる。 全国的な編纂の実践の拡大をめぐる社会的背景には、(1)三都周辺で始まった地理的メディア編纂の実践が、地方都市へと伝播していった結果、これらの編纂を試みる知識人層の裾が広がったこと。(2)幕藩領主や地方書肆の意向など、編纂の実践ができる態勢に向かっていたこと。(3)その実践をめぐる社会的な需要が拡大していたことなどが考えられる。「名所図会」や地誌を編纂する際に設定される領域性や、叙述の場所性めぐる問題は、編纂者側の編纂思考や依頼者の意図が反映される。そこで、版元の特定や編纂者に対する考察を進めることが今後の課題となろう。〈BR〉なお、本発表内容は、平成25~28年度科学研究費助金・基盤研究(A)課題番号25244041 研究代表者:平井松午(徳島大学)「GISを用いた近世城下絵図の解析と時空間データベースの構築」の研究成果の一部である。

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