日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 219
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発表要旨
トロント市におけるイタリア系地区の1946年以降の建物利用変化
*清水 沙耶香
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抄録
本報告は,カナダ・トロント市に形成された2つのイタリア系地区の,1946年から2001年までの建物利用の変化を明らかにするものである.国際的な人の移動にともない,多くの都市に移民の集住地が形成されてきた.移民の集住地には,一般に,同胞によって経営される,同胞を顧客対象とした商業店舗が立地する.こうした商業店舗は,移民に対し,同胞特有の財・サービスを提供するだけでなく,移民先社会において就業先の確保が困難な者にそれを提供したことから,集住地は,同胞間の相互扶助の拠点として,重要な役割を担ってきたと言われている(Bonacich and Modell 1980).一方,近年では,かつて日本人移民の集住地であった日本町の保存運動に,行政やNPOなどの多様な主体が関与していることも明らかにされている(小田2010).このことは,集住地という相互扶助の拠点として機能してきた空間が,移民の集住をともなわなくなったあとも,移民以外を含む主体によって管理・運営される空間へと転換しながら,特定のエスニシティによって特徴づけられた空間として存続することを示している.このことは,建物利用からみても,かつて集住地であった空間は,同胞の住居と商業店舗の集積だけでは説明できない段階へと移行しつつあると想定され,こうした現代的な変化を理解するためには,建物利用の変化を精緻に捉えていく必要がある.トロント市には,ヨーロッパやアジアからの移民流入にともなって,10を超える移民の集住地が形成された.本報告で着目するイタリア系移民は,1890年代以降,市内に3か所の集住地を形成した.そのうち1つは都心部再開発によって消失したが,ほか2つは,すでにイタリア系人口の集住はみられなくなったものの,現在も「リトル・イタリーLittle Italy」・「コルソ・イタリアCorso Italia」と呼ばれる.本報告は,後者2つのイタリア系地区の1946年以降の建物利用に着目し,商業店舗と住宅の観点から,建物利用がどのように変化してきたのかを明らかにする.そして,都市経営的主体の関与についても検討しながら,変化が生じた要因について考察することを目的とする. 分析対象は,2つのイタリア系地区とも,2014年7月時点にBusiness Improvement Area(以下,BIA)として指定されている範囲とした.用いた資料は,トロント市域の番地ごとに,店舗名称または居住者氏名,電話番号が一覧化された電話帳『Might’s Criss Cross』である.年次は,1946年・1961年・1971年・1981年・1990年・2001年のものを使用した.2001年については,1990年以前と電話帳の記載方式が異なるため,トロント市Ryerson大学が2000年に実施した商業店舗調査資料を補足的に用いた.建物利用については,店舗名称が記載されている場合を商業店舗利用,居住者氏名が記載されている場合を住宅利用とした.商業店舗利用の場合は,店舗名称から業種を判断した.なお,電話帳には,一つの番地に対して複数の店舗名称や居住者氏名が記されている場合がある.その場合は,一つの番地が一棟の建物を表すものとみなし,リトル・イタリーの建物総数を182,コルソ・イタリアの建物総数を209として建物利用を分析した.
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© 2016 公益社団法人 日本地理学会
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