日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 212
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発表要旨
津波の教訓を伝える地名の行方
『岩手沿岸古地名考』の追跡調査
*谷端 郷村中 亮夫塚本 章宏花岡 和聖磯田 弦
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抄録

Ⅰ.はじめに

本研究では、岩手県三陸地方における津波由来の地名(以下、津波地名)とその由来が記された『岩手沿岸古地名考』を分析資料とし、津波地名が被災経験を継承する可能性について検討する。『岩手沿岸古地名考』は、陸奥国閉伊郡横田村(現、岩手県遠野市の一部)出身の実業家である山奈宗真(1847-1909)が、1896年に発生した明治三陸地震津波の被災地の被害状況を調査した際に収集し書き著した、いわば津波地名辞典である。本書には、現在の岩手県陸前高田市から九戸郡洋野町に至る地域に、山奈が行った調査の実施当時に存在していたとされる40箇所の地名が挙げられている。今回の発表では、全40箇所の津波地名のうち2016年7月24日までに実施された28箇所の現地調査に基づいた結果を報告する。

Ⅱ.研究の方法と調査の概要

本調査では、津波地名が現代まで継承されているか否かについて検討するために、現地での聞き取り調査を実施した。具体的には『岩手沿岸古地名考』に津波地名とともに記載されている地名の由来に関する記述(注釈を含む)から、おおよそ地名が指し示す場所を推定し、その場所の住民の中で、(1)地名を知っている者が居るか、(2)地名の由来を知っている者が居るか、の2点に着目して聞き取り調査を実施した。本調査は地域住民に対する訪問面接調査であり、被験者に対しては本調査の趣旨を説明したうえで地名・由来を知っているか否かを確認した。ここで、本調査では地域住民に対する統計的な標本抽出に基づく社会調査法を採用していない。調査の目的はあくまでも地名・由来が現在でも日常の地域社会に継承されているかを検討することであり、本調査の方法で検証できるのは、あくまでも『岩手沿岸古地名考』の地名の解説で示された小字・旧村の各地理的範囲内に、調査時点で地名を認知している住民が確認されたか否かという点であることに留意する必要がある。

Ⅲ.結果と考察

調査の結果、津波地名を認知している住民を確認できた地名が15箇所(53.6%)、地名ではなく屋号として確認されたものが4箇所(14.3%)、確認されなかったものが9箇所(32.1%)であった。地名または屋号として確認された19箇所のうち、津波の由来を確認できた地名が10箇所(52.6%)、確認できなかったものが9箇所(47.4%)であった。このように、地名ないしは由来が確認できなかったものは18箇所(64.3%)に上り、数値的にも津波地名の消滅傾向を確認できる。地名消滅の要因としては、明治や昭和の津波で集落が被災し、その後高台に移転することで、その土地での集落の存続が途切れた場合などが考えられる。
また、津波地名が失われてしまうプロセスは、津波地名の継承過程を検討することからも推察できる。たとえば、津波地名が継承されていく中で由来が誇大化し、由来としての信憑性に乏しい昔話となる場合である。山奈によると鯨が津波で「山の麓」に打ち上げられたことから、その山全体が「鯨山」と呼ばれるようになった地名がある。調査の結果、鯨が「山頂」に打ち上げられたという由来で認知している地域住民が確認された。これは、鯨が打ち上げられた場所が麓から山頂へと誇張されて伝わっている例として考えられる。地域住民も昔話として、さらには「鯨山」が海だった太古の話として解釈し、津波の被災経験を伝えるリアリティのある話として解釈する住民は確認されなかった。このように、津波地名の由来の物語性が高まり信憑性がなくなると、よりもっともらしい由来に置き換わるなどして、やがて津波地名としては失われる蓋然性が高まる。
あるいは、津波地名の由来が直近に発生した津波の被災経験をもとに再解釈される場合も考えられる。山奈によると蛸やカラカイ(エイの一種の「カラゲイ」)が打ち上げられて名付けられた「蛸カラカイ」という地名がある。現地調査の結果、「蛸カラカイ」は沿岸から数km上流の鵜住居川沿いにある田郷(たごう)と呼ばれる集落と、その中の小地域を表すカラゲイという地名として確認された。東日本大震災で津波はその集落の少し下流にあたる日ノ神集落まで到達し、そこには遺体も流れ着いたという。それでも、東日本大震災の津波では田郷の集落には津波が到達しなかったことから、津波に関わる地名の由来も信憑性の乏しいものとして地域住民には解釈されていた。
発表当日は、津波地名の継承のパターンをより整理したかたちで報告し、津波地名が被災経験を継承する可能性についても議論する予定である。

付記:本研究は、公益財団法人国土地理協会平成27年度学術研究助成(研究期間:2015年8月~2016年7月)の支援を受けて実施された。

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© 2016 公益社団法人 日本地理学会
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