抄録
原発事故には、保険もハザードマップも存在しない。これまで原発から地理空間に放射性物質が大量に放出された過酷事故(英国、米国、ソ連2件、日本)では、いずれも住民に対して放射能汚染の予報(シミュレーション結果)は公表されなかった。そもそも、原発ハザードマップは可能なのだろうか。またそれが不可能であるなら、原発事故を地理学はどう捉えたらいいのだろうか。本発表では、原発事故による避難時のリスクだけではなく、エクメーネのカタストロフについて、反事実的条件法から考察する。
自治体、研究者の中から、SPEEDIの利用法として以下のものが提案された。1)原発事故の初期に安定ヨウ素剤の服用のタイミングを決めるため(同時的)、2)原発からの放射性物質の放出量を逆推定するため(事後的)、3)全国の原発の事故を想定した、季節ごとの放射性物質の移流・拡散を予測するため(事前的)、などである。原発事故の被害は、単に事故直後のリスク推定(確率計算)を目標とするだけではなく、エクメーネの地理的カタストロフ(可能世界)として捉えるべきではないだろうか。
福島第一原発事故の後で、いくつもの反事実的条件法を用いた言説が現れた。反事実的条件法は、現実に起こったことと、「わずかに」条件が違う場合の帰結を問うている。「起こったかもしれない」さまざまな世界の集合の中に、現実に起こった原発事故を位置づけるとき、短期的な避難行動のハザードマップだけではなく、長期的なエクメーネのカタストロフが視野に入ってくるはずである。「原発さえなければ」(畜産農家)、「生業を返せ、地域を返せ」(福島原発訴訟団)という言説にも、原発立地地域の地理学的な問いが次々と現れてくることを示す。