日本地理学会発表要旨集
2016年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 616
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要旨
工場の履歴からみた立地調整の特質
カネボウ防府工場を事例として
*外枦保 大介田邉 将大
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抄録

1. はじめに
近年,日本では,グローバル化の進展に伴って国内産業の空洞化が進み,これまで雇用を支えてきた工場の撤退・縮小が続いている.工場撤退後に,跡地が商業地や住宅地に活用される場合がある一方で,異なる企業が工場の建物や設備を活用して生産を継続する場合もある.このような立地調整において,工場の履歴や経路依存性がどのように関係するのか,検討してみたい.
工場の履歴や経路依存性を検討するにあたっては,研究開発と製品生産の結びつきが強い化学工業が示唆的であると考えられる.本発表は,山口県防府市にあるカネボウ防府工場の事例を通じて,上述した点を考察したものである.

2.. カネボウ防府工場の履歴
カネボウ防府工場は,1935年に設立された,長い歴史を有する工場である.防府は,近世以来,塩田や新田開発を目的に,干拓や開作が行われており,広大な工場適地と佐波川による用水に恵まれていた地であった.昭和初期以降,干拓・開作地に大規模な工場が進出し,カネボウ進出の前年(1934年)には,福島人絹(現・協和発酵バイオ)も進出している.1970年代以降には,マツダやブリヂストンなども防府市に進出し,工業都市として成長していった.
カネボウ防府工場では,設立当初,レーヨン事業を行っていたが,他社より後発であった合繊事業に進出するため,1963年からナイロン,1968年からポリエステル,1972年からアクリルの生産を開始した.防府工場には研究所も置かれており,カネボウにおいて主要な工場の1つとして位置付けられていた.その後,樹脂製品,人工皮革,食品などの生産も行われていた.1993年当時,工場の従業員数1,800人程度,外部の業務委託も含め3,000人程度が就業していた.

3. カネボウ廃業と工場の立地調整
カネボウは,繊維,化粧品,薬品,食品,住宅・不動産部門の5部門からなる,ペンタゴン経営を推し進めたことで知られる.しかし,このペンタゴン経営の実態は,化粧品が繊維,食品部門の不採算を補う事業構造であり,多角化を維持したままの投資は,負債を膨らますことになったといわれる.このため,1990年代から経営立て直しが進められたが,経営はやがて行き詰まり,2004年に,産業再生機構の支援のもと,事業再生を図ることになった.
防府工場の施設を引き継ぎ,立地した企業は4社ある.第1に,ベルポリエステルプロダクツは,総合容器メーカーの大和製罐が設立して,高分子PET樹脂事業を譲受し,主に飲料ペットボトルのホモPET樹脂と化粧品や医薬品用容器の共重合PET樹脂を生産している.第2に,FILWELは,液晶パネル用ガラス基板メーカーの倉元製作所が設立して,人工皮革のベルエース事業を譲受し,研磨布やランドセル,婦人靴の内装材を生産している.第3に,エアウォーター・ベルパールは,産業用ガスメーカーのエアウォーターが設立して,高分子フェノール樹脂のベルパール事業を譲受し,機能性カーボンやPAS式ガス発生装置を生産している.第4に,防府エネルギーサービスは,防府工場の自家発電事業を譲受し,主に防府工場の事業を継承した3社へ蒸気・電気・配水の供給をし,中国電力へ売電も行っている.また,工場以外にも,工場敷地北側に,2008年に大型商業施設「ロックシティ防府」(現・イオンタウン防府)が開業した.
本発表でみたように,化学工業の場合,研究開発と製品生産の結びつきが強く,地方工場であっても蓄積された技術を有した生産拠点が存在する.そのため,この事例のように,工場の履歴や経路依存性が立地調整の有り様を左右しているといえる.

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© 2016 公益社団法人 日本地理学会
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