抄録
はじめに
古洪水復元は過去に生じた洪水の規模や頻度を推定し,将来起こりうる環境変動に対する河川の応答を推定するためにおこなわれてきた.氾濫堆積速度は洪水時の土砂濃度や氾濫時間と関係していることから,氾濫頻度の指標として用いることができる可能性がある.
泥炭層は主に植物遺体と氾濫による土砂によって構成されており,泥炭層の強熱減量は氾濫による泥炭地への土砂の流入量を反映していると一般的に考えられている.このことは,泥炭層の強熱減量の深度方向の変化が,氾濫堆積速度の変化を反映していることを示唆する.泥炭層の強熱減量は高解像度で計測することが容易であり,数百年スケールでの氾濫堆積速度の変化を捉えることができる.本研究では,石狩低地において採取した泥炭層の強熱減量を用いて氾濫頻度の変化を復元するとともに,広域的な気候変動との関連について議論する.
堆積物の特徴
泥炭層の層厚は約3~5 mであり,その下位には泥質な氾濫堆積物および小規模なクレバススプレイ堆積物もしくは自然堤防堆積物が堆積している.泥炭層の形成開始時期は各地点において異なるが,約5400~3600 cal BPの間である.泥炭層は草本質であり,木片がときおり認められる.泥炭層の強熱減量の変化は,肉眼で判断できる植物遺体の含有量の変化と一致する.
泥炭層の強熱減量の変化はパターン1~3に分類される.パターン1は主に石狩川付近に位置し,強熱減量は約3600 cal BP以前に増減を繰り返し,約3600 cal BPに最も高く約80%を超えることが多い.強熱減量は約3600~1500 cal BPにかけてわずかな振幅をともないながら少しずつ低下し,約1500 cal BPに大きな低下が認められる.パターン2は石狩川の支流近くに位置することが多く,泥炭層の堆積開始以降,数百年スケールでの振幅が認められるものの,長期的な傾向はほぼ認められない.パターン3は低地の東端に認められる段丘から比較的近く,かつ支流および本流から離れた泥炭地の中心部において認められ,強熱減量は常に約80%以上の高い値を保つ.
パターン1に分類されるP43地点においては,約3600 cal BP以前の泥炭層の強熱減量の変動が大きい時点においてフトイ属,スゲ属,ミズオトギリが卓越する層準が認められる.約3600~3000 cal BPにはスゲ属が卓越するが,高層湿原で生育するヤチヤナギがときおり含まれる.約3000~2000 cal BPには高層湿原にみられるミカヅキグサ属が卓越する.約2000 cal BP以降には特定の種が卓越する層準は少ないが,主に低層湿原で生育するシロネ属が卓越する層準が認められた.
パターン2に分類されるP40地点では概ね強熱減量が約70%以上において高層湿原で生育するヤチヤナギおよびミカヅキグサ属が産出する.ただし,強熱減量が上方へ増加した直後においては主に低層湿原で生育するシロネ属やハンノキが産出する.
パターン3に分類されるP47で深度3 mまで泥炭層が認められており,深度1.3 m以深においてはスゲ属が卓越し,ときおりハンノキが産出することから低層湿原であったと推定される.深度1.3 m以浅ではミカヅキグサ属が卓越することから,高層湿原へと移行したと考えられる.
泥炭層の強熱減量を用いた古洪水復元
湿原の植生(低層湿原か高層湿原)は主に栄養状態を反映する.氾濫原の湿原における栄養塩の主な供給源は,氾濫原の端からの表面流出や地下水流出,河川の氾濫である(Charman, 2002).パターン3は氾濫原の端に位置する段丘に近く,地表面流出や地下水流出によって栄養塩が供給されていたと考えられる.一方,河川に近いパターン1,2 では氾濫頻度が,泥炭地への栄養塩の供給に大きく寄与していたと考えられる.
パターン1,2においては強熱減量の高い時期において高層湿原,強熱減量の低い時期において低層湿原であった.このことは,強熱減量の変化が泥炭地における栄養状態の変化,つまり氾濫頻度の変化を反映していることを示唆する.したがって,泥炭層の強熱減量の変化を用いて氾濫頻度を復元することが可能であると考えられる.
石狩川本流および支流において氾濫が生じる気象条件を考慮すると,パターン1は梅雨前線や秋雨前線による降雨の強度の変化と,停滞前線に対して台風が接近する頻度を反映している.一方, パターン2は梅雨前線が北海道付近で維持されて北上する頻度を反映していると考えられる.パターン1の強熱減量の変化は,東アジア夏季モンスーンの強度変化と概ね一致する.