抄録
仙台市の総合計画にみる自己認識の変遷
1.はじめに
わが国の地方自治体では、1969年の地方自治法の改正以降,長期的見通しに立って,行政の計画性および効率性等を図る目的で10年から20年の期間を見据えた総合計画を策定してきた(佐藤,2013)。総合計画は、一般に基本構想、基本計画、実施計画から構成される。
総合計画の基本構想および基本計画には、自地域のイメージおよび目指す地域像と取り巻く社会経済的状況とその将来予測が述べられている。この記載の部分が、地方自治体が自地域をどのように認識しているかを知る上で有効な資料と言える。
本報告は、仙台市の総合計画に示された基本構想および基本計画にある仙台市の①特性認識,②時代状況の認識,③将来像などから、仙台市の自己認識の変遷を検討したものである(表1)。
2. 高度経済成長期の都市像:第1次年総合計画(1967年)
仙台市の第1次総合計画は、全国総合開発計画によって開発拠点に位置づけられるとともに、東北の拠点として急成長を遂げるなかで策定された.そのなかで,開発に伴う自然環境の悪化が危惧された.その結果,目指す都市像として「健康都市」と「東北地方の拠点都市」が描かれた。「健康都市像」には,市民参加とともに,「杜の都」のアイデンティティーによる環境問題に対する市民意識の高さが反映されていた。
3. 時代の転換期の都市像:第2次(1987年)、第3次(1997年)総合計画
「学都」および「杜の都」のイメージが戦前から仙台市民の間で共有,継承されてきたアイデンティティーであった。そして,戦後の都市政策においても参照される指針として機能してきた.第2次総合計画では,「学都」は国際化・情報化を担う都市として,「杜の都」は「自然との調和・共生」として描かれた.さらに,東北の中枢都市としての仙台は、第4次全国総合開発が掲げた多極分散型国土形成に対応して,日本の国際化の一翼を担うものとして描かれた。
第3次総合計画は,国の第5次全国総合開発計画で示された「時代の転換」に従った時代認識に立って,市民と行政の協働,および都市の空間構造としてコンパクトシティをイメージした「機能集約的土地利用」などが提示された。また,東北の中枢都市のイメージとしては,世界と東北を結ぶ都市の姿が描かれた
4. 成熟社会を見据えた都市像:第4次総合計画(2011年)
第4次総合計画では、成熟社会への移行を前提にして、都市政策の転換を掲げ、「市民力」が活力のある成熟した都市の実現にもっとも重要であるとした。市民力とは、「個人や地域団体、NPO,企業などの多様な主体が、都市や地域における課題の解決や魅力の創出に自発的に取り組む力」と説明された。また、仙台の潜在力を「知的資源が新たな息吹を生む学都の力、地域に根ざした支え合う健康都市の風土、自然を生かし優れた環境を育む杜の都、活力を創り交流を広げる東北の中枢都市の力」と表現した。
5. おわりに
仙台の総合計画は、仙台市民が共有するアイデンティティーを指針にして、時代状況の変化に対応した都市の将来像を描いてきた.そして,現在,「市民力」と言う先進的な概念を提示するに至った.
文献
佐藤 徹(2013):行政経営システムにおける総合計画の構造と機能.地域政策研究,16,15-32.