主催: 公益社団法人 日本地理学会
1.背景と目的
日本のワイン産業は,2012年以降,消費量で過去最大を記録する第7次ワインブームとなっている.うち,国産ブドウのみから醸造した日本ワインは全体消費量の2~4%に過ぎないが,成長が続いており,注目を集めている.日本ワインは,安価で高品質な輸入ワインの攻勢により,21世紀に入って長らく低迷していたが,その間,比較的安価な量産品レベルでの品質向上に成功,輸入ワインとある程度,戦える品質水準となった.また,高品質のワインを生産できるワイナリー(ワイン製造工場兼貯蔵場)の数も増加し,品質に関する高い評価は,特定のワイナリーに対してから,特定の産地や日本ワイン全体に対して,付与されるようになった.
本研究では,この品質向上をもたらしたものを技術と総称し,品質向上技術がどのように産地内で伝播していったかを分析・考察することで,産地全体における品質向上の諸相を明らかにする.
2.対象地域と調査方法
主要産地は山梨県,長野県,山形県,北海道だが,うち,山梨県甲州市勝沼地域を調査地域とした.大手から中小企業まで幅広く存在する点,域外からの参入資本から,民間と非民間からなる地場資本まで幅広く分布している点が理由である.また,同地域は,明治期以来,ワイン産業の中心地であり,現代に至る品質向上の先進地域でもある.
同地域では,ワイナリー18社と,周辺主体群16ヶ所にインタビュー調査を行い,経営概況,および,品質向上技術の採用・定着・伝播状況を把握した.技術伝播の事例としては,ワイン醸造技術であるシュール・リー法,醸造・ブドウ栽培技術であるきいろ香,栽培技術であるレインカットの3つを取り上げた.
3.調査結果
シュール・リーは,同地の主力製品である甲州ワインが風味に乏しい点を解決するために,1980年代前半に大手の1社が採用したフランスの伝統的醸造技術である.通常は発酵が終わった後,除去する酵母を,引き続きワインと接触させておくことで風味増進を図る.難易度は伝統的技術であることもあり高くないが,ブドウ果汁の清澄化等,細かい前提条件が求められる.本技術は,甲州ワインの品質を,輸入ワインとある程度,競争できる水準まで引き上げるもので,10~20年をかけて,当該大手から地場の中堅へ,最終的にはほぼ全てのワイナリーに伝播・普及した.伝播にあたっては,地場企業間を中心とした活発なネットワークが有効活用された.
きいろ香は,同企業が,2000年代に,フランスの大学の協力を得て投入した独自開発技術である.甲州ブドウを完熟前に早摘みし,一定の醸造法を適用することで,柑橘系の風味増大を実現する.早摘みに加え,特定農薬使用の制限等,ブドウ生産者の協力が必須である.本技術では,シュール・リーのような階層性に従った伝播パターンは明確でなかった.過去と比べ,中小企業の経験値や技術力対応力が向上していた点が背景にある.また,本技術に対応すると,ブドウ収量が低減し,樹勢も弱るなど農家経営上の問題があったため,農家間での採用は拡大しなかった.
レインカットは,ヨーロッパ原産のワイン用ブドウを垣根栽培する際に,日本の高温多湿で雨が多い気候に対応できるよう,垣根上部をU字型にビニールで覆う技術である.上述の二技術とは別の大手が1980年代に開発した,同社は,競合他社にも普及するよう,資材メーカーに販売権を譲渡,技術指導のみを同社が行う体制を採用した.資材メーカーを媒介にして,大手から中小まで,日本の各地で採用された.
4.考察
調査対象地域の事例分析により得られた知見は以下の3点である.第1には,海外技術の導入等は研究機関ではなく大手企業により行われていること,つまり,産地の研究・開発機能は大手企業が負っていることである.2点目は,技術伝播は,地元と関係性が強く交流が頻繁なネットワークを介して広がる場合が多いことである.第3には,伝播には階層性があること,しかし,その階層性は,中小ワイナリーの技術力向上により簡略化されつつあることである.