抄録
I 研究の目的 個人の交通行動と個人・地域特性との関連についてはこれまで多くの研究がおこなわれてきたが,地区の社会的環境の影響に関する知見は混在しており(Kim & Wang 2015; McNeill et al. 2006),とりわけ日本においては十分な分析はなされていない.ここで居住者の社会経済的特性に基づく地区レベルの社会的環境を把握するためにジオデモグラフィクス(Harris et al. 2005)が有効であると考えられるが,その適用可能性についても検討の余地がある.本研究では日常的な移動機会である通勤および私事活動(買物・通院)に着目し,これらに影響を与えるとされる個人属性,建造環境を含む地域特性,社会的環境の役割について明らかにする. II データと方法 京都府全域を対象地域とし,個人レベルの交通行動を把握する資料として第5回近畿圏パーソントリップ調査(2010年)データを用いた.本データにより,京都府居住者の平日トリップに関する情報(代表交通手段,移動目的,発着地,トリップ長等)や個人属性(性別,年齢,職業等)が得られる. 社会的環境に関しては,ジオデモグラフィクスとしてエクスペリアンジャパン社のExperian Mosaic Japan 2010を利用した.本データは2010年国勢調査や購買行動データ,年収階級別世帯数等の情報を地区単位でクラスタリングしたものであり,居住者は居住地の郵便番号ゾーンに基づいて大分類のMosaic group (A~N: 14分類) の居住地特性が付与される. さらに建造環境を含むその他の地域特性をコントロールするため,個人の行動に影響を与えると考えられる以下の変数を用意した.すなわち,人口密度,公共交通サービス水準(最寄駅までの距離,最寄バス停までの距離),地形(平均傾斜),土地利用(建物用地割合),施設立地(商業施設や医療施設までの距離・密度)である.これらの変数は国土数値情報(国土交通省)やテレポイントデータ(㈱ゼンリン)を用いて整備された. これらを説明変数とし,移動目的別に交通手段選択や移動距離を目的関数としたロジスティック回帰分析および重回帰分析を行った.個人や施設立地等の地域特性を統制したうえで,社会的環境を表す社会地区変数が交通行動に有意な影響を及ぼすかどうか,また交通行動と建造環境との関係が社会地区類型によって変化するかどうかを確認した. IV 分析結果 多変量解析の結果,本研究で検証したいずれの移動目的(通勤,買物,通院)においても,従来の研究と同様に個人や地域の特性は交通行動に影響を与えていることが確認されたが,これらとは独立にジオデモグラフィクスで類型化される居住者特性による効果も明らかになった.例えば特徴的な点として,買物や通院目的では,地区類型N (大都市に住む低所得層)の居住者はそれ以外に比べて徒歩を選択する傾向が強く,自動車を選択する傾向が弱い.これは特に買物目的で顕著である.また地区類型J (農林漁業を営む家族),K (地方都市の共働き世帯),L (過疎地の高齢者)では,その他の様々な個人・地域要因を考慮しても,私事目的に自動車を選択する傾向が強い.一方,地区類型B (高級住宅地のエグゼクティブ),C (都市周辺部の豊かな中高年),D (郊外住まいの若い家族)など相対的に社会階層の高い地区では,公共交通を選択する傾向が強い.これらの結果の背景には,公共交通の近接性だけでは把握できない運行状況等のサービスレベルや,自家用車の所有しやすさなど居住地区間の差異を反映していると考えられる. 通勤行動に関しても,個人属性や地域特性に有意な違いがみられる一方で,地区類型N (大都市に住む低所得層)の居住者は自動車よりも公共交通を選択しやすいなど,特徴的な社会地区類型の影響も確認された.さらに職業階層別の分析では,ホワイトカラー従業者の方がブルーカラー従業者よりも社会的環境の影響を受けやすいなど,個人属性と社会的環境の相互作用的な効果についても示された.本研究では,同様に移動距離についても分析し,社会地区類型の効果について考察する.