抄録
はじめに 本研究は真水の視点からの地域把握であり,シラス台地の崖脚からの典型的な湧水である「清水の湧水」(南九州市川辺町)と隆起サンゴ礁のカルスト台地から湧出する「ジッキョヌホー」(ジッキョ=瀬利覚,ヌ=の,ホー=川;大島郡知名町)の比較にもとづき,集落の中心として湧水が果たしている役割を明らかにする.2016年度中に川辺町清水で6回,知名町瀬利覚で4回,地域住民への聞き取りを主とした現地調査を実施した.
昭和と平成の名水百選にそれぞれ選定されている清水の湧水とジッキョヌホーは,集落の象徴であり人々を結び付けてきたとみられる.シラスとカルスト,水稲と畑作,薩摩半島と沖永良部島という対比を意識しつつ,地域社会の中心・象徴としての湧水の役割について個別性と共通性を明らかにするとともに,水を基軸とした人間と自然の関係から地域を捉え直すことを目的とする.
観察結果 1) 水道の普及を機に湧水やホーの重要性が低下していったことは清水,瀬利覚の両集落に共通するものの,瀬利覚がジッキョヌホーの地理的中心性を活かして字の象徴としてホーに光を当てているのに対して,清水では湧水の意義を次の世代に伝える人間集団の編成がみられず清水の湧水の存在感は風前の灯火である.
2) 水は生命の源であり,集落の立地に不可欠である.シラス台地上は地表水に乏しい一方,低地では湧水が多く分布する.清水でもそうで,水量豊富な万之瀬川も流れており,水への渇望が低い.それに対し,カルスト台地からなる沖永良部島では河川がほとんどなく,ホーやクラゴーといった地下水系に依存する生活が長く続いてきた.表層を流れる真水の多寡が,シラス地域とカルスト地域に居住する人々の水への眼差し,切実性の差異を生み出していると考えられる.
3) 清水の湧水のすぐ真横に水元神社が,境内の一角に昭和23年に建てられた清水公民館がある.背後のシラスの急崖での県による砂防事業(のり面工事)に伴い,平成29年度に一旦社殿が取り壊され,翌30年度に再建される予定である.急傾斜地に立地する公民館は,新築の許可が下りず改築で対処するが,そこで行われる催しに子どもたちやその親の世代の姿はほぼない.世代間交流がなく集落での行事が継承されない様は,沖永良部とは対照的で残念である.
4) 42の字・集落からなる沖永良部島内での水取得の困難さは一様ではなく,和泊町国頭や知名町正名はとくに苦労したとされる.農林水産省農林水産祭のむらづくり部門の天皇杯を相次いで受賞(国頭:平成4年,正名:平成12年)した要因には,困難さをバネに集落で団結したことが挙げられる.他の字でも独自の取り組みがされており,地域住民により選出される区長に率いられる字の自治は,行政主導とは一線を画し,少子高齢化・人口減少時代に注目される有り様である.字とは別個に,名水のむらジッキョ自立・創造委員会(ファングル塾)を筆頭格にコミュニティに根ざした活動を展開する組織も少なくなく,沖永良部の島民の底力を痛感させられる.
議論 地域はある環境に人間が居住することで生成される.清水の湧水とジッキョヌホーでは現在担っている役割が全く異なり,前者はほとんど顧みられず,後者は今でも集落の象徴として人々が集う場所である.住民と土地・故郷との結びつきの強さを考える上で,川辺の利便性(鹿児島市へのアクセスの良さ)や沖永良部の僻遠性および島民の多くが一度は島立ちしていることが重要である.沖永良部では島を一度離れることで故郷を客観視できてその素晴らしさを実感できるのに対して,川辺では鹿児島市に比べると不便などこにでもあるような田舎としてしか捉えられないことが,両者のコントラストを生んでいると考えられる.つまり,故郷を相対化できているかどうかが地域社会の結束を左右すると思われる.
おわりに 湧水を突破口に集落にアプローチし,故郷を相対化できているかどうかがコミュニティの結束を左右するという結論に至ったが,新たな課題も見つかった.限界集落(滞在中のカンザス州でも多くのdying townを見た)のこの先や時代に即した地域の変貌といった大命題は諸賢に委ねることとして,今回聞き取りが叶わなかった幅広い世代や中心を担うわけではない静かな構成員の声を集めるなど,地道な地域把握を続けていきたい.
本研究の遂行には,地(知)の拠点事業:火山と島嶼を有する鹿児島の地域再生プログラム(鹿児島大学)の平成28年度地域志向教育研究経費を使用した.