抄録
身の回りの自然資源を利用して生計を立てる小規模社会の人びとの自然に関する知識は、その生存に直結すると考えられ、彼らにとってもっとも重要な文化要素であると言える。そのような社会において、集団に共有される知識は親世代から子世代へ、あるいは同世代間の伝播(学習)などによって伝達・継承され、また変容すると想定される。こうした関心のもとに、文化の伝達経路や継承に関する研究がおこなわれ、例えばHewlett and Cavalli-Sforza (1986)は、中部アフリカ熱帯林のアカ・ピグミーの狩猟・採集・育児・歌や踊りなどに関する文化の伝達経路に関して調査をおこない、垂直伝播(親→子)の重要性を明らかにした。一方、グローバル化が進む中で小規模社会の文化・社会は変容し、長期にわたって持続してきた知識が急速に失われていることが懸念されるが、その具体的な様相はほとんど把握されていないのが現状である。例えば学校教育の普及によって、親から子へと伝えられてきた自然に関する知識は、いかに変容するのだろうか。
この報告では、定住化、移民との混住化、市場経済の浸透によって急速な社会変容が進む焼畑民マジャンギルの人びとに実施した樹木を中心とした植物利用知識調査の結果を報告し、とくに年齢と知識の獲得量との関係や男女間の知識の差異に注目しつつ、上に述べた知識の伝達・継承と変容の諸問題について検討する。
マジャンギルはエチオピア南西部(ガンベラ州)の森林域に住み、焼畑、採集、狩猟を生業として暮らしてきた。これらの生業はいずれも森の資源を利用するものであり、男性は森で、女性は集落および畑の周辺で過ごす時間が長いという違いはあるものの、男女とも樹木を中心とする森の植物に関わる知識を子供の頃から蓄え、それを糧にして生計を維持してきた。野生植物のおよそ65%は飲食用、建材、衣料・装飾、儀礼、薬用、燃料、生業・生活用具、あるいは蜂蜜採集の蜜源植物としてなど、何らかの形で利用され、多くの植物は多岐にわたる利用がなされる(佐藤 2014)。このように人と森とが共生・共存してきた「マジャンの森」は、2017年にユネスコ生物圏保護区に登録された。一方で、1980年代以降、それまで国家との直接的な関係を持たず頻繁な移住生活をおこなってきたマジャンギルは、政府の政策を受容して定住化し、1990年代以降は学校教育を受けるようになった。焼畑や採集・狩猟に依存する生業形態は現在も変わらないものの、2016年現在、定住村に住む7歳以上の子供の大多数は学校教育を経験している。
報告者は2016年にマジャンギルの村(クミ村)を訪問し、子供から老人まで数十名のマジャンギル男女に対して、樹木を主とする「野生植物利用知識テスト」を実施した。これは、マジャンの森に分布する樹木約40種を選び、個々の樹木について、その樹木を知っているか、どの部位をどんなふうに利用するかを挙げてもらったものである。利用知識に関しては、まず思いつく限りの知識を挙げてもらった後に、報告者が用意した樹木ごとの「利用法リスト」を参照しながら、被験者が言及しなかった利用法について尋ね、知識の有無を確認し、最後に回答結果を採点した。このテストの狙いは、世代、性別、親族集団間で知識の差があるかどうか、親と子の間に知識の類縁性があるかどうか、そして子供が知識を獲得する年齢や、学校に行っている子供とそうでない子供との間に知識の差異が生じるか、など、冒頭に述べた様々な問題を検討することであった。結果の詳細は発表において集計データを提示しつつ議論する。