日本地理学会発表要旨集
2017年度日本地理学会秋季学術大会
セッションID: P023
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発表要旨
鬼怒川・小貝川低地における人為的土地改変による洪水、液状化災害に対する脆弱化過程
*青山 雅史
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抄録



1.はじめに
鬼怒川・小貝川低地における2015年関東・東北豪雨による溢水発生地点、および2011年東北地方太平洋沖地震による液状化発生地点では、1960年代以降における砂や砂利の採掘履歴を有する事例が多いことが確認された。本発表では、本地域における高度経済成長期以降の砂・砂利採取による人為的土地改変過程とそれらの溢水発生地点、液状化発生地点との関係を示す。

2.調査方法
①2015年関東・東北豪雨による溢水発生地点の一つである茨城県常総市若宮戸地区鬼怒川左岸側河畔砂丘における1947年以降の地形変化(特に河畔砂丘の平面分布と面積の変化)と土地利用変化について、多時期の米軍・国土地理院撮影空中写真の判読、それらの空中写真や旧版地形図等を用いたGIS解析、集落内の石碑に関する調査、住民への聞き取り調査などから検討した。②2011年東北地方太平洋沖地震による液状化発生地点の土地条件について、多時期の米軍・国土地理院撮影空中写真や旧版地形図等を用いたGIS解析、文献資料調査などから検討した。液状化発生地点のデータは、国交省関東地整・地盤工学会(2011)を用いた。

3.調査結果
1947年時点における若宮戸地区の河畔砂丘は、南北方向の長さが2,000m弱、東西方向の最大幅は400m弱であった。その後、この河畔砂丘は次第に縮小していった(図1)。1960年代後期から1970年代中期にかけて、この河畔砂丘は建材としての砂の採取のため人為的な削剥が進行し、河畔砂丘東側(集落側)が大きく削剥された。若宮戸集落内には、元来河畔砂丘上にあった石碑や石塔が砂採取工事のため1968年に移築されたことを記した碑が存在する。近年においても、ソーラーパネル設置のため、河畔砂丘の人為的削剥が行われた。これらの結果、2015年9月末時点の河畔砂丘の面積は、1947年時点の河畔砂丘面積の約31%と大幅に縮小した。
2011年東北地方太平洋沖地震により、鬼怒川・小貝川低地では複数の地点で液状化の発生が確認されている。それらの地点を国土地理院治水地形分類図で確認すると、旧河道、盛土地のほか、氾濫平野や自然堤防なども多く見られた。しかし、多時期の空中写真を判読すると、それらの液状化発生地点の多くは1960年代以降砂利の採掘履歴を有することが明らかとなった。それらの地点では砂利採取終了後埋め戻され、水田等の農地や宅地へと変化している。それらの地点では、埋め戻し土が液状化した可能性が考えられる。

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